遥か昔、ペルーのインカ帝国
障害者は、宇宙と繋がりのある、神のような存在として崇められていた時代がありました。
その証拠に、6本指の手を5本指の手が周りを囲み、守っているかのような壁画が発見されています。
日本でも、弥生時代、障害者のお墓は、健常者の中心に守られるように建てられていたのです。
遠い昔、アフリカで発生されたマラリヤは人類の滅亡に追い込みました。
しかし、マラリヤにかからない人もいたのです。
その人の赤血球は特別なかたちをしていました。
その4/1は、病気を持った人と、障害者だったのです・・・・。
そう、彼らがいなければ、私たちは存在しなかった。
私達健常者は健常者として生まれてきたことを誇りに思い、
そして、それが、当たりまえのように生き、病気の人や障害者の方々を憐みに感じ、
見えない一線を自然にひいてしまっている。
それが大半ではないでしょうか?
そうではない。
病気を持ったひとも、障害を持ったひとも共同体なのだと。
この映画を観て感銘を受け、今、観てほんとに良かったと、あれからとても穏やかな気持ちで過ごしています。
その感動をもう一度!
是非沢山の人にみて頂きたいと思っています。
日時: 11月4日(日)
場所: Cafe Tsukikoya
詳細
↓
http://www.1over4.jp/
http://ameblo.jp/tsukikoya/entry-11385716141.html
障害者は、宇宙と繋がりのある、神のような存在として崇められていた時代がありました。
その証拠に、6本指の手を5本指の手が周りを囲み、守っているかのような壁画が発見されています。
日本でも、弥生時代、障害者のお墓は、健常者の中心に守られるように建てられていたのです。
遠い昔、アフリカで発生されたマラリヤは人類の滅亡に追い込みました。
しかし、マラリヤにかからない人もいたのです。
その人の赤血球は特別なかたちをしていました。
その4/1は、病気を持った人と、障害者だったのです・・・・。
そう、彼らがいなければ、私たちは存在しなかった。
私達健常者は健常者として生まれてきたことを誇りに思い、
そして、それが、当たりまえのように生き、病気の人や障害者の方々を憐みに感じ、
見えない一線を自然にひいてしまっている。
それが大半ではないでしょうか?
そうではない。
病気を持ったひとも、障害を持ったひとも共同体なのだと。
この映画を観て感銘を受け、今、観てほんとに良かったと、あれからとても穏やかな気持ちで過ごしています。

その感動をもう一度!
是非沢山の人にみて頂きたいと思っています。
日時: 11月4日(日)
場所: Cafe Tsukikoya
詳細
↓
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http://ameblo.jp/tsukikoya/entry-11385716141.html