海老名カイロプラクティックセンターに礼状がとどきました
支援して頂いた方々にコピーをして渡して下さいと
そして、くれぐれも宜しくお伝え下さいとメモ書きが入っていました
こちらに来られない方々に読んでいただきたく、こちらに載せることにしました
どうぞお読みください
星




風と雪で体も心も震えたあの日から、うだるような暑さを過ぎ、涼しい風と虫の声が聞こえる季節となりました。
あの3月11日、着の身着ままで命からがら避難したため何もない私達にとってその節の支援、お見舞いは心にしみるものでした。
本当ありがとうございました。

家の財産もおそらく海のモクズとなりましたが、幸いにも家族全員無事であった事が救いと支えになっています。
通常我が家は子供は学校、妻(美幸)は自転車で10分程のところに勤務。私は治療院に一人でいる生活でした。
3月11日は子供達が午前授業で帰宅。それが運命の分かれ道となりました。
そして午後2時46分地震発生

直後家脇の側溝の水が引いていた事に気付き取るものの取りあえず避難しました。
車の行き交う県道を避け娘の肩につかまり裏通りに入りました。
同じ頃、妻も家に向かって自転車を走らせていました。
やはり普段走る県道を避け、裏通りに入った所でバッタリ遭遇しました。

後になってこの時既に津波の第1波が背後まで来ていたようです。

避難先のお寺に着いた直後、お寺ギリギリまで第2波が襲来
そして火事の発生。山越えをして体育館で一夜を過ごしました。
次の日から4ヶ月半親戚の家にお世話になりました。

不自由な避難所生活や親戚知人宅で人間関係で悩まされた人達と比べ、親戚である石井夫婦の行為と優しさに甘えさせて頂いた私達はなんとも恵まれた環境であったろうと感じています。

また3月16日より避難所を回り治療のボランティアをしたなかで何百人という一人一人のドラマを聞くにつけ自分達が生きている喜びそして生かされているという不思議さを実感しています。

引っ越し先は一軒家ですが、津波で浸水しひどく汚れていましたが、大勢のボランティアの方々の協力でなんとか住むことが出来、やっと家の中も片付きつつあり、治療院の看板もあげて仕事の再開と生活の再建がなりつつあるところです。

今回の震災で紙面では伝えきれないほど色々な事を感じ考えさせられました。
残酷な、しかし避けがたい自然の暴力に対して、人の優しさはともすると折れそうに、なえそうになる私たちの心を支え勇気付けてくれました。
心温まるご支援やお見舞いを頂き家族一同感謝し、そして改めて御礼申し上げます。
どうもありがとうございました

藤原正・美幸

$海老名から被災地へ。直接支援活動ブログ


人の気持ちを動かすのはやっぱり人なんだ
そう胸に響いた言葉をかけられました
私達共々出会えたことに感謝しております