釜石で仙寿院という寺が避難所となっていましたが、2週間前にそこからやっと仮設住宅に移り住む事が出来た山崎さん夫妻
私は、震災後の3月から釜石に行くたびに山崎さん夫妻に会いに行ってました 仮設に移ったという情報を聞きつけ、早速ご自宅拝見しに行って参りました音譜 

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しかし!
よく見ると、壁は隙間だらけ、入居したては部屋中、アリだらけビックリマーク
大変だったそうですガーン
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それでも、自分の家を持てたことで安心している様子
本人、快適だと仰っていましたニコニコ

以前は宝石屋さんと、音楽の先生(二人とも音大卒)をしていました
最近、ご主人は週に3回くらいの音楽の先生に職が決まりました
奥さんはカフェの経営をしたいとのこと! 

“今まで、自分が被災して、物やお金を頂いてきたが、今度は恩返ししていきたい!自分には音楽がある それを通してみんなの憩いの場であったり、または教育の場であったりする50名位が入るスペースのカフェをつくりたい!”

既に物件もいくつかあたり、大体の場所も決めていました! 
凄い前向きな姿勢に圧倒され、私もTsukikoyaの店長も全面協力していくと約束しましたビックリマーク
必ず成功させましょう!!

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こちらの仮設に付いているもの
● 新品の布団

赤十字から
● レンジ
● 電気釜
● 冷蔵庫
● 洗濯機
● テレビ
● 電気ポット

IKEAから
● キッチンマット
● タオル
● 食器
● タッパ
● 写真に写っている赤い机×2


そしてこの日は改めて津波当日の話を聞かされました・・・・。
津波が来た時、釜石は警報が鳴らなかったと。。
津波が押し寄せてきているのにその先で幸せそうに犬の散歩をしているおばさんがいたと
そのおばさんどうしたかな・・・
悲しそうに話していましたしょぼん 

アメリカのテキサスからやってきた男性もいました。釜石で英語の先生をやっていたそうですが津波が来る前にテキサスに戻っていました
津波の映像をアメリカで見て、すぐにチケットの手配をし、3日後、戻ってきたそうです!!
勇敢なアメリカ人に私たちは心打たれました