私は子どもの時から

算数が好きだった。


正解だった時の気持ち良さ、

理屈に筋が通っていて

“それ以外あり得ない”

という唯一の答えが気持ちいい。


アプローチの仕方は

バリエーションがあって

その“別解”を見るのも好きだった。


この別解はどういう考え方か

考えるのもまた楽しい。


試験前はそんなことしてられないけど。

限られた時間で他の教科もしないといけないし、

楽しんでる場合じゃない。


もっと、試験前以外にも

勉強しておけばよかったな。


わからないことは

先生に聞けたんだし。

先生に聞き放題だったあの時に

その特権を

もっと贅沢に使っておけば良かった。


たまに姪っ子に数学聞かれる。

問題がLINEで送られてくると

ワクワクする。

また送ってこないかなー?


数学好きな自分って、

ちょっと頭いい気がして

気分が良かったのも正直ある。


だけどガツンときた言葉があった。


「数学好きな人って単純」


娘に言われた言葉だ。


「答えがあるってわかってる問題は

 楽しくて当たり前。」


と言われた。

ガツンと衝撃が来た。

なるほど〜。


世の中の課題のほとんどは

問題を提起して

あるかわからん答えを出して、

検証したりもするのかな。


あってたり

違ってたり

それを決めた因子はなんだとか

考えるだけでうんざりだわ。



私は算数好きな

「単純な頭」だから

子育てや

不登校に対して


「こうすればこうなる」


と数式のように考えてたのかも。

原因と結果がまっすぐ1本で

つながってるイメージを

持ってたのかもしれない。


そんなふうに考えてたら

そりゃしんどいわな。


解明不能な

色んなことが

複雑に関わり合って

結果として

しんどくなっちゃった、

ということなんだから。


起こったことや

自分の受け止めや

周りの反応や

元々の性格や

親の性格、

見てきた状況

友達の性格

先生の対応

などなど。


最初は原因を潰そうと必死だったけど、


考えるべきは

“今何が必要か” だったのかもね。


今は休むことが必要。


あの時は

すぐにはそんなふうに考えられなかった。

ことの大きさが分かってなかったせいもあるけど。


答えがあるかないか

わからない問題を

考え続けるのも

しんどかった。


今目の前に

生きている子どもがいて

苦しそうで、

休む必要がある、


将来のこととか

不安になるけど、

今はなにもできない。


将来のことは、

考えられる時がくれば

自然に考えるし、

考えられない時に

無理矢理考えようとしても

不安に潰されて

余計しんどくなるだけ。


休んだからといって

みんなが同じ道を辿るわけではないから

これまた難しいけど。



何かがきっかけで

解決しました!という幻を

信じたくなるけど、

数式みたいはいかないと思ってた方がいい。

しんどくなるし、

イライラしちゃうから。



それにしても

数学好きは単純、という言葉には

だいぶ語弊があるよね。


少なくとも私には

確かにそんな問題ばかりじゃないよな、

と気付くきっかけになりました。