私が小学校の時、ということは大大大昔、

通信簿をもらってきて家に帰る途中、

近所のおばちゃんに声をかけられた。


おかえり、

成績もらってきた?


そう聞かれて、

なんの抵抗もなく、


はい、とそのおばちゃんに成績を見せたのだ。


そのおばちゃんは、


見せてくれるの?


多分そんなことを言いながら、私の成績を見た。


家に帰って、母にめちゃくちゃ怒られた。


よそのおばちゃんに見せるなんて、

薄情者、裏切り者、くらいの勢いで怒られた。



私としては、

「成績もらった?と聞かれた」 イコール 「見せて」の意味で捉えたんだろう。

そして、成績のことを別になんとも思ってなかったので、

とてもニュートラルな気持ちで見せた記憶がある。


小学校の成績なので大したものではなかったと思う。



母の怒り様で、初めて「大変なことをしたのかな。」と思ったわけ。



うちには、亡くなったおじいちゃんの写真が置いてあり、

もらった成績はまずそこに置き、

お父さんが帰ってきたら、

「見てください」と言って見てもらう風習があった。


なんの疑問も持たずにそうしていた。



自分の子が不登校になるまで、

私も、子どもの成績をそんなふうに捉えていた。


子どもは成績を親に見せるべき、

子どもにそれは決められない、と。


だけど、学校に行けなければ成績はつかず、

斜線か1になることを知ってから、

見なくなった。


最初は

見るのが辛いのもあった、

かわいそうなのもあった、

だけど

だんだん成績に対する考え方が変わっていった。


見せたい成績を取れた時にはもちろん見せてくれればいい、

一緒に喜びたい。

だけど見せたくない成績の時は見せなくていい、


今度はもっと頑張ろう、と思ってもいいし、

全く気にしなくてもいいし、

先生の目が節穴だと思ってもいい。


一生懸命考えて成績をつけてくれた先生には申し訳ないけど、

本人が受け取れば、それでいいのよ。



子どもの成績は子どものもの。

見せなさいとか、強制するものでもないし、

よく頑張ったねとか、もっと頑張りなさいとか、

頼まれてないのに評価しなくていいんじゃないのかな。


子どもの心をもっと自由にしてあげたい。


学校の基準で数値化された自分を、

自分の価値だと思わなくていい。


価値基準は1つじゃないって思う。