この前、「聖書の勉強をしています」という人が家を訪ねてきた。

手が離せない時はもちろん断るんだけど、私はこういう人たちを悪とは思っていない。

 

 

家を訪ねてくる人たちの中は、「要らない」と言っても

「買い取ってもらうものはない」と言ってもしつこく話してくる人たちがいる。

きっと嘘だろうなと思うことを長々話されたりして

そういうのは迷惑なんだけど。

 

でも基本、最初から失礼な態度は取らないようにしている。

必要ないと断れば帰ってくれる。

 

聖書の人が来た時も、インターホンで出たら早速話を始められたので、そのまま相槌を打ちながら聞いていた。

話が長かったので、インターホンが自動で切れてしまった。

だから玄関に出て「すみません、切れてしまって。」というと、お礼を言われた。

 

神の存在を信じていて、神が全てを作ったと言っている。

今とても辛い世の中だけど、全てを作った神なら、全てを解決できると思いませんか?

 

そう言われた。

 

そう信じてる人が多いことは知っています、と答えた。

ある程度は話を聞いて、帰ってもらった。

 

 

宗教には、いろんな関わり方があると思うけど、

やはり辛い人たちのために生まれたんだなって思う。

救いを求める人たちのために存在しているんだ。

 

辛いって思ってない人には必要がない。

辛いかどうかは自分が決める。

辛いと言えば辛いのかもしれないけど、

自分のことかわいそがっても、あんまいいことない。

 

 

神が全てを解決すると信じるのはいいけど、

大きな力が働いて何かが変わったら、

きっとそこにはまた不幸な人が生まれるのでは?と考えてしまう。

 

きっと良くなる、きっと良くなる、と信じていた方が

じっと耐えられる気がするのはわかる。

明るい未来が待っていると信じた方が生きていられる。

 

でも、もう充分幸せだと思うことができれば(簡単ではないが)

未来に期待しなくても、すぐに幸せになれる。

 

そう思えない人が未来に期待するんだろうけど。

そして、自分の力ではどうにもならないと思ってるから、

神のような力を持つヒーローの出現を待っているんだ。

 

 

そういう考えに救われてきた人が世界中にたくさんいる。

そして、その方が救われたからこそ、

他の皆さんにも幸せになって欲しい、という思いで

暑い中一戸一戸訪問されてるんだろう。

 

 

その思いは悪ではないと思うので、無碍にはしない。

私とは考えが違うだけ。

 

夫は、「気をつけてよ」と言う。

話を聞くうちにのめり込んでしまうのでは、と心配しているんだろう。

多分大丈夫。

 

今回は、黙って待ってるだけで神が幸せな未来を用意してくれると信じられるなんて、

おめでたいな、というのが正直な感想。

 

 

もしかしたらこの訪問には裏があって、

私が思うようなピュアな理由じゃなかったりして?