ほとんどのことは、たまたまで出来てるって思う。

 

原因と結果を結びつけるのは、

すごーく難しい。というか、不可能だと思う。

 

実験だと、対照実験ってできるけどね。

 

日光の影響を調べるために

日光のあり、なしで発芽を観察するとか。

 

子どもが学校行かない原因を

どれだけ考えただろうか。

 

何がいけなかったんだろう?

 

でも、

そんなことは考えてもしょうがない。

 

しょうがない、というのは、

過ぎたことはしょうがない、という意味ではなく、

 

考えても答えは見つからない、ということ。

原因はないんだと思う。

 

 

たまたま

 

に尽きると思う。

 

誰かのせいに見えることでも、

小さいものが集結した大きな流れが、

そういう方向へ持っていったんだろう。

 

周りを囲んでる人にも

それぞれに

無数のたまたま、があるし。

 

 

 

自分も含め、多くの人は

わからないまま放置することができないんだと思う。

 

よくわからない状態で

答えを出さずに放置することがすごいストレスになるから。

 

一つ答えを出して、処理済みにしたいんだ。

 

だから、

こういう家庭の子は

こういう子に育ちがち、

 

とか

 

母親のこういう態度が

子どもをそうさせた、

 

とか、

 

勝手に方程式を立てて

原因と結果のように結びつけて、

勝手にスッキリしてる。

 

処理済みにしたいから。

 

「そういうのが一般的」と

自分の考えが正しいかのように仕立てたいから。

 

自分の元気が奪われるような考え方に支配されそうになったら、

 

私は簡単な方程式に飛びついたりしない、と

未処理のものを抱えられる強い人間だ、と考えよう。

 

これからやろうとすることだって、

「こうすればこうなるはずだ」と結果に期待しすぎるとしんどい。

 

運が良ければいい方向に向くかも、

私が今そうしたいからそうする、でいいのかも。