むかーし昔、
いま高1の娘が小学5年生の頃。
学校には行けたり行けなかったり。
行けたとしても別室だし、
朝遅れたり
早退だったり。
1日行ける日もあったかなー。
でも成功体験はなかなか感じられず、
ぐったりとして
行けた満足感
みたいなものは無かった…頃。
「ずっと別室にいるんじゃなくて、
一つだけでもいいから授業出ない?」
と先生に提案される。
そう提案されると
“そうか、そろそろそういうタイミングかな”
と思う。
娘に話してみるけど、
しぶってる。
そんな様子を見てると
「いつまでもあそこでみんなと離れてるわけにいかないでしょ」
的な話をしてしまう私。
先生からの提案、というのを重く受け止めてしまうんだろうな。
「せっかく先生がそう言ってくれてるし」
みたいな。
せっかくってなんだ?
我ながらしつこいな。
今思えば
「やってみる?」
「まだ自信ない?」
「そうか、じゃあ先生に伝えとくね」
「気にしなくていいよ」
そう言ってあげればよかった。
その時だったかは忘れたけど、
その後、授業を一つ選んで出られるようになった。
娘が出やすい授業を自分で選んで。
少しの間うまくいってると、また次の提案。
「他に〇〇や⬜︎⬜︎も出てみない?」
これなら出やすいでしょ、
とか
図工は遅れると辛いでしょ、
ということで提案される。
小さな部屋で机を挟み、
向こうに先生3人、
こちらに私と娘
といった状況だった。
今思い出してもかわいそうなことしたなぁ。
あんな状況だと
全くできる気がしなくても
YESというしかない。
そのYESが重く肩にのしかかることをわかっていながらYESを言うしかない。
1つの教科に出られるようになったら
次はそれをさらに増やしていこう、
という考えはすごくわかる。
目標は完全な学校生活を送ること。
1つで満足してないで次の目標に向かわなきゃ、
ということでしょ。
だけど
目標をさっさと遠ざけられるのは辛いなー。
「できたね、じゃあ次はあそこがゴールね」
て。
まあ、私が悪いんですけどね。
先生は提案をしてるだけで強制はしてない。
「それが出来ないなら来るな」って言ってるわけじゃない。
私がもっとよく理解していれば
「まだそれは無理なので、もう少し今のままで様子を見させてください」
と言えば済む話。
あんな、イエスを言うしかない状況で
泣きながら頷いた娘。
それをさせたのは私だ。
怠けてるわけじゃない。
できるようになりたいに決まってる。
「できそう」
「やってみたい」
が本人の中にあるかどうか、
ただそれだけ観察して、
提案→見送り→提案→見送り
を繰り返したって全然いい!
「やりたいけど怖い」
という気持ちが聞けたら、
先生に相談して、
どんな方法なら出来そうか、
一緒に考えてもらう。
先生も力になりたいと思ってくれてるはずだから、こちらにフィットしたヘルプならきっと動いてくれる。
必須なのは本人の気持ち。
それを除いて周りが目標立てたって、
絶望して消耗するだけだ。
本人の気持ちがあって、
それに対して周りが協力してくれるなら、
うまくいく確率も少しは高いだろうし、
先生との関係も良くなるし、
今回ダメでもまたやれそうって思える。
ただでさえ追い込まれてる子どもを、
さらに追い込むようなこと、
たくさんあるんだろうな、、、
たくさんの人が理解してくれるといいな。