私は小さい時、おじいちゃんに会うのがちょっと憂鬱だった。

年をとってからの子ども(母)の子ども(私たち)なので、めちゃくちゃかわいかったらしくて。

 

おじいちゃんの部屋。

ノックして返事があったら部屋に入り、

正座をしてあいさつをする。

「きたか」と笑顔のおじいちゃん。

おじいちゃんの部屋の独特の空気。

 

 

そして私たち姉妹は膝に抱っこされる。

かわいくて仕方ないんでしょうね。

鼻をなめられる。

 

・・・それが嫌だった。

きっと当時も嫌な顔をしていたんだと思うけど、

おそらくその様子もかわいかったのでしょう。

 

お母さんに「鼻なめられるの嫌だ。」って言ってみても

「おじいちゃんはあんたたちがかわいくて仕方ないんだから。」

と言われる。

 

本当に嫌で嫌で。

一緒に住んだことがないから、おじいちゃんの人柄なんかもわからない。

祖父に対する愛情も、正直よくわからない。

日常の中にいないのだから。

お母さんの思い出話の中に出てくるのを聞くだけで。

 

 

かわいがられる方の”嫌だ”って気持ち

よりも

かわいがる方の”かわいがりたい”気持ち

の方が

優先されている。

 


「おじいちゃんに鼻をなめられるのが嫌だから行きたくない。」

って

もっと強く言ってたらどうなってたかな。

「よく知らない人に抱っこされて鼻をなめられる気持ちわからないでしょ!」

「絶対行かない!」

って言えたら。。。

「そんな悲しいこと言わないで。」って泣かれるかな。

「そんなこと言ったらおじいちゃん悲しむよ。」って言われるかな。

私の気持ちは?

 

 

子どもはいろんな制限の中で育つ。

お金持ちか、貧乏かも選べない。

美人の母か、ブスな母かも選べない。

豪邸か、ボロ屋かも、

住む場所も、

 

おじいちゃんのところに行くかどうかも選べない。

 

 

自分の気持ちよりも、

おじいちゃんの気持ちの方を大事にするべきなんだと学んでしまう。

 

自分の中に湧いた気持ちを、

まるで無いもののように扱うようになる。

相手はどうしたいのか

自分はそれにどう答えたらいいか・・・。

 

人の邪魔にならないように、

人の不快にならないように、

人が望むことに答えるように、

 

もっと、自分の気持ちを大事にする練習を

小さなころからしておくのがいいんじゃないかな。

 

 

嫌なことは嫌と言えるように。

自分がどう感じているのか、

どう考えているのかを見つめて、

自分の意見を持てるように。

 

 

そんなこと、教えられなくても、練習しなくても、できる子だっている。

自分の気持ちがはっきりしていて、それを相手にもちゃんと伝えられる子。

それをやり過ぎる子に対して「相手の気持ちも考えなさい」っと手綱を握る親。

こういう組み合わせならバランスが取れるかもしれない。

 

だけど、自分の気持ちを無視する練習をコツコツしてきてしまった子には

「自分の気持ちが一番大事だよ。」と伝えてあげるのかいいんだと思う。

 

どうかな。

 

 

誰かにとっていい「自分」になろうとしなくていい、

自分が一番、「自分」を大事にしてほしいと思う。