変なことを考えた。

例えば年配の人が「年長者を敬え」と言ったとする。

それはいいことだと思う。そういう気持ちを持たなければいけないな、とも思う。だけど押し付けられるのは違うな、とも思う。

敬いたいと思う人には言われなくても敬うし、年長者でも尊敬できない人はたくさんいる。


多くの人に尊敬される人は「敬え」なんて言わなくても尊敬されるだろうし、そもそもそんなことすら思っていないのかもしれない。




人に助けてもらったり心配してもらったり可愛がってもらう人もそうなのかなと思った。

私は子どものことを
心配したり
世話したり
助けたり
笑顔でいて欲しいと思ったり、
そういう思いは親だからという義務感で湧いてくるものでは無いような気がする。


たとえ親子でもこういう気持ちになる事は必然ではない(残念なことだけど)


私は今まで人に恵まれ、環境に恵まれ、超絶ラッキーの中を生きてきたと思ってる。


困ったときには助けてくれる人が現れ、話を聞いてくれる人が現れ、楽しみたい時は付き合ってくれる人が現れる。放っておいて欲しい時は放っておいてくれる。


私も親とは言え、逃げ出す選択もできなくは無い。それをしないのは私が偉いのではなく、子どもの側に助けてもらえる能力がある、そんな気がする。すごく変な考え方かもしれないけど。


生まれてまだ間もない、何にもわからない赤ちゃんが笑う時がある。
「生理的微笑」といったかな?
自分1人で生きていけない赤ちゃんが周りの大人に可愛がられるため、守ってもらうための笑顔だと聞いたことがある。


そういう能力が備わっているのかな。そうだとしてもしなくても親のやることは変わらないんだけど。



可愛がらされている???


可愛がってしまう
助けてしまう
守ってしまう
心配してしまう

仕方がないとあきらめにも似たような気持ちで付き合ってみるのもいいかな。

素直な気持ちに逆らわず笑