若い頃

子どもを持つかどうかを真剣に考えたことがある。


持つことで得られること、得られないことなど考えていた。


父は5人ぐらい産んでや

なんて半分冗談で言ってたけど。



後輩に聞いてみた。

将来子ども産む?

「はい」

なんで?

「笑なんでって、それが普通だから。」




普通だからが理由になるとは思っていなかった。


普通だから、産んでる人が多いから、という理由は、私には弱かった。



例えば

老後をあてにして産むのは子どもに申し訳ない気がする。


父の望みに答えるっていうのもアリかも知れないけど、私自身の気持ちで強く望みたかった。


産みたくても産めない人がいるから。

日本のために。

少子化の世の中だから。


というのもしっくりこない。

私には選択する自由があると思った。

変な人だな。



結局、

「子育てをしてみたい」


でした。



夫婦のことなので、一人では決められないけど、当時はこれだと思った。



そして、結婚、妊娠、出産。

生まれてきた時、「家族になった」と思った。

夫とも家族になれたと感じた。



二人目をどうするか?

で、また考え込んでしまうめんどくさい私



今、2人の子育てをしてる。

とても濃い子育てになってる。

こんな子育てになることは想像してなかったけど、「子育てをしてみたい」と自分の中から湧いた気持ちで覚悟したこと、良かったと思う。




普通だから


これもまた大事なこと。

実際、私も子どもに「普通」を求めている。


でも、私がそう思ったように、普通ってそんなに大事だろうか?

それで動ける人はそれでいい。

だけど、もっと強い何かが必要かも。


原動力になる何か

人のため

お金のため

好きなこと

好きな人


自分の中からどんな気持ちが湧いてくるかな?

親は黙ってないと、邪魔になるだろうな。



もし私が「子育てしてみたいでしょ?」

て誰かに言われてたら、私の覚悟にはならなかったと思うから。



乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキダルマ


子育てはもう終わってるのかもしれない。

子どもが自分で成長していくのを

「近くで手出し口出しせず見てる人」

になっているのかな。


してみたいと思っていた「子育て」が終わりにさしかかってる…のかも。


クローバークローバークローバーUMAくん