『経験を無駄にしたくないという考え』






私は小学校に入る前から書道を習っていた
長年をかけて段が上がり師範に手が届きそうなところまで行った。
将来は書道の先生にならなきゃ、と思った、
中学でバスケ部に入った。
高校でも続けなきゃ、と思った。
高校で理系を選択し、理系の学部へ。
研究の道へ進まなきゃ、と思った。
関連の仕事につかなきゃ、と思った。
これは、せっかくの経験を無駄にしたくないという気持ちからだと思う。
本当にそうしたかったのかも知れないし、無駄にしてはいけないという思いに縛られていたのかもしれない。
大人になった今、そんなものに縛られる必要なかったな、と思う。
すごろくのように進む道が限られてるイメージじゃなくて
目の前に丸い輪がいくつもばら撒かれてて
それをトントン好きな方へジャンプして行くみたいに、そんな風に選択してもよかった。
今度はあれやりたい、
あれもやってみたい、
と。
そうならなかったのには
きっと親や先生や身近な人の
そして自分自身の
「なんで?せっかく続けてきたのに。
もったいない。」
があったと思う。
それを跳ね返すほどの気持ちもなかった。
自分に自信もなかった。
継続は力なり、と思うと、、、
そんな考えに縛られず
なんでもやってみたらいい
子どもにはそう言ってあげたい
うちの子はピアノを習っている。
それなりに弾ける。
だけど
合唱の伴奏に立候補したり
卒業式の校歌を演奏したり
することもなく……
「せっかく習わせてもらってるのに、何もできてない。習ってる意味がない。」と娘。
そんなことはないよ。
みんなの前で披露したいと思う子はすればいい、挑戦はいいことだし、いい経験になる。
だけどみんなの前で弾かなくても
そうしたいと思ったらいつでもできる準備は出来てる。
やってみたいと思ってから習い始めてては時間がかかるからね。
何より楽しんでるし癒されてるんだから意味は大アリだよ。
いろんなことをやっておけば
いろんな準備ができる
いろんな準備ができていれば
自信にもなる。
レンガを一つずつ上にばかり細く積み上げるんじゃなくて
あちこちに少しずつ積んでいけばいいんじゃないかな。
続きを積んでみたくなればそうしてもいいし、
あれとこれを合わせてみよう、もできると思うし
いくつも組み合わせて土台にもできる
一つの分野にこだわらなくても
ちゃんと経験は蓄えられてると思う
もっと自由な気持ちで選んで生きていけばいいと思う。
やってきたことを無駄にしたくないって、貧乏性だから思うのかな
そんなこと思わなくても、無駄にはならないと思うよ。
時間を無駄にした、と思っても、
時間を無駄にした経験は無駄にはならない笑
お金も
お金を無駄にした経験は無駄にはならない笑
…ということだ。
無理やりすぎるかしら?
次に生かそうと思えるなら
なんでもいい経験だと思います。
考えるきっかけになったのなら
無駄じゃなかったと言えます。


