『課題の分離って何だ?』
分かっているようでわかっていないので、考えてみたい。
親の課題と子どもの課題を分離する、ってどういうことか。
「嫌われる勇気」 とかも読んだけど
(ほとんど忘れかけてるけど)
子どもの課題だから親が主導権を握るべきではない、という感じでしょうか。
「親が子どもに勉強を強要し、進路や結婚相手にまで口を出す、これが課題の分離ができていない状態だ」と。
あるサイトでアドラー心理学・課題の分離をわかりやすく解説していました。
親は、子供の課題に足を踏み込まないようにしないといけません。
子供もまた親の課題に足を踏み込まないようにしなくてはいけません。
その上で、親にできることは、子供を見守るということ、
そして何か助けてほしい時はいつでもサポートする準備ができているということを、伝えることです。
(色は私が変えました。)
ということは、見守ってもいいし、子どもが助けを求めたら助けてもいいってことだ。
大事なところで、自分がどうしたいか子ども自身が考え、親はそれを尊重する、でいいのかな。
なーんだ。もっと突き放さなきゃいけないのかと思ってた。
”こうするのがいいに決まってる、黙って親の言うこと聞いていればいいのよ!”
なんてことは思ってないから、それでいいってことかな。
そもそも、親が子どもの代わりに頑張ることも、子どもの代わりに苦しんであげることもできないのだから、
そんなに意識しなくても課題は分離できているような気もする。
極端にコントロールしようとすることが間違っているんだろう。
二十歳までに自分で稼げないようなら家から出ていけ、と強制したりとか?
〇〇歳までに結婚してなかったら、親が決めた人と結婚させるとか?
〇〇点取れなかったらスマホ没収、とか?
↑これはやってしまいそう???
国公立しか行かせないとか?
↑これは経済的な面もある???
子どもがやるべきことを取り上げてはいけないんだ。
テストでいい点を取りたいか、取らなくてもいいかは、子どもが決めること。
スマホのせいでいい点が取れなかった、次はもっといい点を取りたいと思うなら、子ども自身がスマホを使わない工夫をすればいいってこと。
私の場合、「スマホ預かろうか?」と聞いてみたら「いーわ!」って速攻断られました![]()
子どもを私立大学に行かせられないのは、経済的な問題なら親の課題。親の見栄ならもっての他だけど。
「国公立しか許さないぞ。」
ではなく
「国公立しか行かせてやれないから、
何とかその範囲で考えてくれないかな。」
それでも子どもが私立でやりたいことがあるなら、
「自分もできるだけバイト頑張るから私立行かせてほしい。」
とか
「お母さんも、支援制度とか、調べてみるね。」
とか。
…わたしの…
・・・妄想が暴走している…![]()
・・・具体的に想像しないと、課題の分離が理解できないので…![]()
なんとなく、分かった気がする。
手綱をグイグイと力を込めて右に左に引っ張るのではなく、
手を放すことなく、緩めて持っていればいいんだ。
いざ、危ない時にいつでも助けられるように。
「危ない時」ってどういうとき?
また私の悩みは続く…
笑(^^)
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結局は、課題の分離ができてるとか、できてないとか、どうでもいい! 笑笑
「課題の分離」合格証書が欲しいわけでもないし。
何かの基準に当てはめて、自分があっているのか、間違っているのか、判断したいんだな、私。
これは何病だ? 不登校親病?笑
失礼しました。
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↓一部を引用させていただいたサイト https://lifehack-animation.com/separation-issues/
③親子関係においても課題の分離は成り立つのか?
この問題についてアドラーはこのように言います。それは、
「親子こそ課題の分離が大切である。」と。
なぜならば、親子というのは、DNAレベルでの関係のみならず、血縁関係という文化的な関係にも縛られています。
つまり、距離が近くなりすぎやすいのです。
親子といえども、心も体も脳も別々なわけですから、
親が子供の、もしくは子供が親の人生を生きることは不可能です。
それにも関わらず、
課題の分離ができていないと、
それは、過保護・過干渉、もしくは全く逆の、虐待・無視・放棄、となり、
挙げ句の果てには、親子もろともに自分の人生を見失います。
親は、子供の課題に足を踏み込まないようにしないといけません。
また子供もまた親の課題に足を踏み込まないようにしなくてはいけません。
その上で、親にできることは、子供を見守るということ、
そして何か助けてほしい時はいつでもサポートする準備ができているということを、伝えることです。
親子関係において、「課題の分離」というのはむしろ意識的に行っていくべきです。
なぜならば、そもそも精神的・物理的な距離が近く、課題の分離以前の状態に陥りやすいからです。