『心が壊れなければ大丈夫?』
行きしぶり・不登校という症状が現れた時に、親が余計なことをして事態をこじらせるのだそう。
親があれこれ要らないことをして、限界を超えた子どもの心が余計に疲労して、心が壊れてしまう、という記事を目にしたことがあります。なるほど。
心が壊れているのって、どうやってわかるのかな。
「頑張れ」って言っていい時とダメな時、どうやったらわかるのかな。
そうやって心が壊れた子は復活に時間がかかり、壊れていない子は充電して動き出せる、というものだったと思います。
それを読んだとき、すごく安心したし、納得しました。
「そっか、うちの子、心は壊れてなさそうだから、今ちゃんと休めば大丈夫だ。」って。
でも壊れてなさそうって、私はどうやって判断した?
勘?母親の直感?そんなんでいいのかな。
子どもの心は複雑です。
「行きたい。だけど行けない。」
「頑張れなんて言わないでほしい。だけど背中を押してほしい。」
「行ったほうがいいのはわかってる、でも…。」
「わかってほしい。でもわかるわけないでしょ。」
という感じかな、分からないけど。
本人が頑張りたいと思っているのに
「もう頑張らなくていいよ。」とも言えないし
もう限界・・・と思っているのに
「あとちょっとだけ頑張ってみたら?」とも言えない。
体に震えが来たり、吐き気がしたり、体に現れる変化と違って、
心は見えないから…
平気に見えて限界が来ているとか、あり得るんだろうし。
壊れる一歩手前まで行っていいのか、はるか手前でやめていいのか、それもわからない。
今がどの地点なのかもわからない。
昔仲良くしていた子が小学6年生くらいの時
「今日そろばん行きたくなーい。」と言うと
「いいよいいよ、休みなさい。」ってその子のお母さん。
「やったー」って喜ぶ友達。
私は「えーーーー!」
私の母は絶対そんなこと言わないので驚きました。
私は小さい時からずーっと習字を習っていましたが、病気以外で休むことは許されませんでした。
どうしても行きたくないと泣いても、引きずって連れて行かれました。
だから習字が嫌いでした。まあ、役には立っているけど。
そのお友達の例は
それははるか手前過ぎる…気がする。
その家庭の自由だけど。
難しいな。
甘やかしなのか、いい判断なのか…。
でもまあ、
「行きたいけど行けない」時点で壊れかけているのかな。
行きたかったら行くもん、多分。
行くべきと頭でわかってるなら行ける、多分。
行けるなら行ってる。←お借りした言葉
結局、心が壊れてしまったか、まだ大丈夫なのかは不明だけど。
いやそもそも、私がどう解釈しようが事態はコントロールできないのだけれど…
無力だなぁ
無力だからこそいいんだなぁ、きっと。
私の出来ることは少ない。
「おいしそー!」って言われるご飯を用意するだけだ。
それを、がんばろっと。