先日は月の欠損について書きました。
さてさて、月の欠損=自我の手放し だと私は解釈しました。
それがお風呂でいうところの 栓 になっていて、そこに気がつくことによって
タールみたいなのがこびりついていたお風呂の中の汚れが少し緩み始める?
という感じです。(わかりずらい)
月の欠損にとても感銘を受けたけれど、正直ネーミングは衝撃というか「月は悪い物じゃないのにな」
という気持ちがあります。
月はこの世は自我でできた幻だと教えてくれる、道しるべだと思う。
だけど、これは愛先生の勇気ある発言によって私に上ってきた感覚なので
この感覚に光をあててくれたのだなぁと、思う。
そして、よく聞いたら愛先生はそういう悪い意味では欠損という言葉を使っていない。
この幻の世界で生きるには、それを武器だと思うのはやめときなさいね、って意味だと思う。
それで、だ。
占星術にはジオセントリックとヘリオセントリックがあるそうです。(占星術わからんので)
これはヌーソロジーの『円心』と同じことを言っているんだろうなと思った。
ここからは岡崎直子さんの太陽と月をyoutubeで観た感想と私の受け取ったことも含みながら記します。
大体の人たちは普段、物に囲まれてる感覚で暮らしている、、、と思います。
自分の周りを360度見回したら、物に囲まれている。みたいな。
地球の中に私は住んでる、みたいな。
ヌーソロジーでは、その物に囲まれている感覚と違うもう一つの円が私達には
あるのだけど、それに気がつかずに生活している。と、ざっくり言うとこんな感じです。
もっというと、それに気がつかずに肉体が死んでいく(笑)
でね、物に囲まれて生活している感覚、というのが自分と他人を比べてしまう原因に
なっているそう。
だから、気付いていないもう一つの円のことをヌーソロジーは教えてくれる。
もしそれがわかったら、私の見ている世界とあなたの見ている世界は違うので
自分と他人を比べるという気持ちはなくなるのだと思う。
(もっと大枠でみると大きな世界があるのだけど)
太陽(ビオス)が見える世界だとしたら、月(ゾーエー)は見えない世界。
見える世界は実数世界。見えない世界は虚数世界。
それが円心じゃないかと。
円が私を包むことと、私が円になることは同じことだと。
世界は一つだけじゃないですよ~、ということだ。
これを感覚でわかること、現実として発見すること、言葉で伝えられること
数式で理解すること。
私はまだ感覚でフワっとしか言えないけれど、
それがずっと関心のあること。
と、何が長かったかというと私は随分と長い間、自分と向き合っていたつもりで
自分と向き合っていなかったことがわかりましたよ、と。
誰かのことを敵にしたてあげたり、文句を言ったり、していましたよ(汗)
1年以上も悩んでいたこともありますよ(笑)
悩みは人と比べるからでしたよ。誰と比べてるんでしょうか、世間とですよ。
月はいつも幻想を連れてきてくれる。
偽の太陽に取り込まれないために。