自分自身の中身でさえも曖昧にしか認識していない場合が多々あるこの人間というものにとって、他人の本心なんぞは理解できない方が当たり前なのである。ドラマだから結局は第三者に伝わるように描かれるのだが、「前略おふくろ様」第2シリーズ第1話で途方もない喪失感を味わった視聴者に、かすみちゃん(坂口良子)の本心がある程度わかるまでに5週間を要することになる。
鼻の頭をかく婚約者の合図に応えて、元彼女のかすみちゃんが顎を撫でる、「好きだ」「私も好き」を盗み見たサブ(萩原健一)は、さらに半妻さん(室田日出男)と付き合っていた時も、かすみちゃんが同じ合図を使いまわしていたことを知らされる。第1シリーズを通してひたすら純粋だったかすみちゃんの姿が、ある種の軽薄さを伴ったもののように思い出される。彼女がただ単純で軽薄で移り気な女性だったとしても、すべて辻褄が合ってしまうのである。
かすみちゃんの本心が語られ、2人の物語の現在形が明瞭になるのが第2シリーズ第6話である。
サブは利夫(川谷拓三)から、かすみちゃんの結婚話の件で相手方ともめていると聞かされる。かすみちゃんの父である深川鳶、渡辺組のかしら(加藤嘉)は、結婚後も同居を望んでいたのに、婚約者の男はかすみちゃんを連れて行きたいと言っているのだ。その夜、かすみちゃんに誘われて、サブはスナックで誕生日プレゼントのライターを渡される。自分が忘れていた誕生日にわざわざそんなものをくれたかすみちゃんに、サブはむしろ「女の不気味さ」を感じる。さらにかすみちゃんは、「私、困るわ、……ああいうの困る」と言って、ゆうべうみちゃん(桃井かおり)が夜やって来て、サブがまだ「惚れてんだよね、まだたっぷりと、あんたに」と教え、もう一度考え直してくれないか頼まれたと話す。サブのハトコであるに過ぎないうみちゃんは、「おにいちゃん」とふだんは呼んでいるが、もともとサブが好きで、第1シリーズではかすみちゃんと三角関係だった。そのうみちゃんがかすみちゃんに、今も恋人同士であるふりをして山形のおふくろ様(田中絹代)に会いに行ってほしいと頼む。
かすみちゃんは、自分の方がサブに振られたのだとうみちゃんに語りだす。「それでも私ずい分努力して、自分の悪いとこは直そうとして、……、(間)半年かかったわ、立ち直るのに。ううンもっとよ、……、毎日サブちゃんの顔見るのがつらくて、何度もお店を辞めようかと思ったわ。でも……、それでも私……、まだ好きだったから、……、少しでもサブちゃんのそばにいたくて、……(間) 毎日帰って寝床で泣いたわ。本当に一時は死にたくなっちゃって。……やっと最近よ、立ち直ったの、……立ち直っていろんなこと考えるのやめて、……人生ってきっとそんなもンだから、……誰の人生だってそんなもンだからって、一生懸命思おうとしてそれで」と、ここまで言った時、うみちゃんが「わかってるからガタガタいうなよ」と怒鳴りつける。
視聴者はとりあえず救われた。かすみちゃんは少なくとも、軽薄で移り気な「つまらない女の子」ではなかったようだし、サブにとってかすみちゃんが特別な存在であるのと同じくらいには、かすみちゃんにとってサブは特別な存在だったのだとわかる。またかすみちゃんが、第1シリーズと比べて、サブとの関係を通してずい分大人の女性へと変貌を遂げたことがわかる。「人生ってきっとそんなもンだから、……誰の人生だってそんなもンだから」という台詞は、第1シリーズのあの一途で純粋だったかすみちゃんの姿を思うと、あまりに哀しい。だがこれも成長なのだ。
ところでかすみちゃんは、このやりとりを、次の夜スナックでサブ本人に語っているのである。「困るのよね」と切り出しておいて、サブがしつこく問いただし、ようやく語り始めた体にはなっているが、婚約者と今もめているという前振りもあったので、どこか「女の不気味さ」を感じさせる部分もある。人間は曖昧なのだ。
その後サブは、両国のスナックから渡辺組まで、かすみちゃんを送って行く。夜道が続き、渡辺組の前で別れようとした時、サブはかすみちゃんに「キスしてもいいですか」と尋ねる。返事もしないし頷きもしないかすみちゃんを、材木の陰に連れて行ってキスする。かすみちゃんは嫌がるどころか、顎を上げ、背伸びするような姿勢で受け入れる。やかんがグツグツいっていた最初の時は、「鼻が邪魔にならないか心配だった」とかすみちゃんは言った。その時に比べたらずい分手慣れた風に見える。唇が離れた後、囁くような声でかすみちゃんは、「私、わかんない」とつぶやく。「何がスか?」と言うサブに首を振り、「おやすみ」と言ってかすみちゃんは去る。わからないのは自分の気持ちなのか、サブの本心なのか、その両方なのか。曖昧な人間の真実が立ち上がるシーンだ。
その夜、夢枕に現れたかすみちゃんの父、渡辺組のかしら(加藤嘉)は、かすみちゃんを取ってしまえとサブをけしかける。「好いてくれてンだろう? 今でもかすみを、……頼りにしてるぜ。おいら、おまえを、……あんなインテリに負けねえでくれよな」
そして、目覚めたサブは、かしらが亡くなったという知らせを受け取る。第2シリーズ第6話は、サブの一発逆転を予感させる状況で終わるのだ。
ドラマを通して、人は変容し成長する。しかし人がまったく別人になることはありえない。第2シリーズ第7話で描かれるかしらの葬儀では、まだ籍も入れていない、結婚するかどうかもめていたはずの、例の婚約者が故人の息子ででもあるかのような顔をして取り仕切り、かすみちゃんを「かすみ」と呼び捨てにし、すでに自分の妻ででもあるかのように扱う。この男はサブに欠けているものすべてを持ち合わせているのだ。そう言えば、この男は自分の方が先に鼻の頭をこすった。サブはかすみちゃんにそうされると照れながら顎をかく側だったが、この男のずうずうしいほどの積極性こそが、かすみちゃんにはむしろ安心できた、少なくともサブのような煮え切らない、曖昧な態度を取り続ける男と付き合った後では、救いになったということなのだろう。
かすみちゃんは最終回で、この男の後を追い外国に行ってしまう。山形よりも遠くへ。サブは一人前の板前として仙台に行き、給料も2倍以上になる。1970年代の恋愛は、最初古い形の障害に邪魔されているかに見えたが、後半この恋愛の破たんは、純粋に本人同士の問題であるとともに、恋愛というものに典型的な経緯を辿ったようにも見える。かすみちゃんは「人生ってきっとそんなもンだ」と考えるようになり、自分が安心して長く一緒に暮らせる男を選んだが、最後にサブに書いた手紙の中で、いつか自分が年老いた時に、子供たちに「見なさい。母さんにもこういうふうに輝くばかりの青春があったのよ」と自慢するのは、サブと過ごした日々の方だと語る。サブはサブで、今付き合っている鈴木春子(風吹ジュン)と結婚したとしても、子や孫に自慢するのは、かすみちゃんとのことなのだ。
一般的に言って、人を好きになった時の、一番の高揚感をともに経験した相手と結婚まで進むことは稀なのだ。もしそうなったとしても、高揚感は長続きせず、お互いが意識して別のもっと安定した形に作り変えて行かなければならないのだろう。多くの場合、高揚の次の段階は不安定なものになる。相手を疑ったり、幻滅したり。
田中英光の小説、「オリンポスの果実」では、1932年のロスアンゼルス・オリンピックに向かう船の中で、ボート競技の選手だった「ぼく」は、走り高跳びの日本代表である女子大生と仲良くなる。コーチから男女で遊ぶことを禁止されつつ、互いに意識しあうような時間が過ぎ、競技が終わった帰りの船で、ようやく甲板で彼女と二人きりになり、彼女が恥ずかし気に「ぼく」の言葉を待ちながら立ち尽くしていた時、ふと視線を落とすと、彼女の脚に生えたうぶ毛が目につき、うぶ毛の生えた脚が憎らしくて、彼女に冷たい言葉を吐いてしまったというくだりがある。完全な瞬間は、後に続く時間を不完全なものにする。「ぼく」は下船の際に撮った写真を彼女の寄宿舎に送り、もしも返事が来たら彼女と付き合って、もしかしたら結婚できるかも知れないと期待するが、返事は来なかった。9年が過ぎ、すでに妻子ある身でありながら、ずっと気になっていたことを聞きたくて彼女に送った手紙という形式の小説の、その末尾が、「あなたは、いったい、ぼくが、好きだったのでしょうか。」という問い。その問いにもちろん答えはなく、彼女の表情や言葉や仕草の裏側にあるものは、いつまでも謎のままなのである。ちなみに本作品は完全な私小説で、田中英光は実際ロスアンゼルス・オリンピックに出場した選手であり、相手の女性は相良八重という走り高跳びの選手。ちなみに、走り幅跳びで金メダルを獲得した南部忠平のことにも触れられている。
相良八重の本心は永遠にわからない。彼女は田中英光が送った写真入りの手紙に返事を書かなかった。ただ、彼の啄木歌集の余白に「日本に帰りましたら是非お遊びにいらして下さい。寄宿舎の豚小屋に。」と書いたのに、彼は行かなかった。冗談めかして書いたからかも知れない。写真に添えた彼の手紙も、相手の「迷惑を考え」て「あっさりした」ものだったし。相手の本心がわからないと、思い切った行動が取れなかった、これは1930年代の話。(続く)