1.あの日の星々。 

 あの日見上げた夜空は、星々が溢れそうな程、キラキラと瞬いていた。
 君は、僕が指差す星の行方を、ただ笑って見つめて。

 諒ちゃんは星博士だね

 そう言って重なった手のひらが、すごく温かくて。僕はその手をギュッと、握り返した。

 幼かった僕らは、その時が全てで、その時がずっと変わらず続くと思っていた。
 僕は君しか知らなくて、君はその時の僕しか知らない。


 ねぇ、深春。君は今、何をしている?
 この星々を、どこかで見上げているのかな。

 風に戦ぐ木々の音だけが、耳に触れる。
 その風は、もう5月なのに、少し肌寒く僕を撫ぜてった。


 逢いたい。
 深春、君に、逢いたい。

 あの日から、ずっと。
 僕は君を、想ってる。



「陽(あきら)くん、来てたんだ」
 家主のいない家に灯りが灯っている時点で、彼が来ているのは分かっていた。
 そうして、何故彼がここで僕を待っていたのかも、分かっている。
「諒、今日受診日だって分かって来なかったの?」
 ほら、やっぱり。
 僕が受診日をすっぽかしてどこで何をしていたのかも、多分バレているんだろう。
「最近は調子もいいし、まだ薬も残ってるから、大丈夫だって」
 それは本当の話で、最近はもう何ヶ月も発作はないし、前兆もないし、体調だって崩してはいない。
 それでも、僕の主治医で幼馴染である彼には、だったら良いかと流せる話ではないのだろう。
「大丈夫かどうかは、諒が判断することではないから。こんなに身体冷やして、風邪でも引いたらどうするの」
 リビングで待ち構えていた彼を素通りしようとして、案の定腕を取られゆく手を阻まれてしまった。
「諒、座って」
「本当に大丈夫だって。そんなに心配することないってば」
「諒の大丈夫は信用出来ないよ。俺には誤魔化しも効かないってこと、君が一番分かってるだろう?」

 いつもは穏やかな彼が、怖い顔をして、掴んだ腕を離してはくれない。
 最後に発作を起こした時も、不調を隠して誤魔化した。それで数日入院する羽目になったんだから、陽くんにとって、僕は信用ならない奴、なんだろう。

「ご、めん」

 自分が素直じゃあないってことは、僕が一番分かってる。
 
「謝って欲しいんじゃない。君には、もっと自分を大切にして欲しいんだ」
「・・・・・・ごめん、なさい」

 だけど、僕は陽くんに心配してもらうような奴なんかじゃ、ない。

「今日は新月だから星が良く見えたんだろうね」

 陽くんには、全てお見通しで。
 僕があの場所に星を見に行く理由も、全部。
 それがもう叶わないだろう願いでも。

 深春。
 僕は、もう君を待つ資格さえも、ないんだと思う。



「ダメだよ諒ちゃん、看護師さんに怒られちゃうよ」
 消灯時間の過ぎた病棟の廊下は薄暗くって、深春みはるは僕の無理やり引く手を強く握りながら、何度も駄目だと止めた。
「大丈夫だって。さっき見回りに来てたから、当分来ないしバレないよ」
「えぇー、そうかなぁ・・・・・・」
 今日は満月だけど、ペルセウス座流星群が極大の日だ。
 流星群を見たことがないと言っていた深春に、見せてやりたい。
 病院の裏にある丘から見える星は、息を呑むくらい綺麗だから。
「腕、痛い?」
「え、うぅん、僕は平気」
 深春は腕を骨折して入院していた。入院初日こそ半ベソかいていたけれど、すぐに同室の子たちと仲良くなった。
 僕はなかなか周りと溶け込めずにいて、そんな僕に深春は周りと変わらず接してくれた。

「うわぁ、すっご、い」
 病院を抜け出して見上げた夜空に流れる流星群に、深春が、目をキラキラ輝かせて、笑った。
「諒ちゃんは星博士だね」

 その時、僕は決めたんだ。
 もっともっと星を勉強して、深春と星を見るんだ、って。



「隣り、ええか?」
 そう言って、僕の返事を待つことなく隣りに座ったのは、同じゼミの昊(こう)だ。
「で、お前決めたん?」
「え?」
 数量限定の昼定食を頬張りながら、昊が僕を覗き込むように見遣る。
「院だよ、院。もうじき院試の願書締め切りやん」
「あぁ、うん」

 大学の理学部に進んだ僕は、宇宙物理学を専攻している。
 小さい頃、入院期間が長かった僕は、星の図鑑を眺めては病室を抜け出して星を見ていた。
 星は、人の一生の中では不変で、そんな星の下で、僕らはほんのちっぽけな存在でしかない。それでも確かにそこにあって瞬いて、季節が巡ってもそれぞれがまた、形を変えることなく僕の見上げる先に広がる。
 僕は、知ってしまったんだ。その星々を一緒に見上げれば、僕の隣りで、満面の笑みで僕に嬉しいって、楽しいって、思わせてくれる人がいること。 
「どうしたん?今日調子悪いんか?」
「や、うぅん、大丈夫」
 だけど、その笑顔は、僕の中で輪郭のぼやけた霞んだ笑顔になって。
 いくら手を伸ばしても、追いかけても、それは届かないって、現実を知った。

「僕、教職に就こうかと、思ってる」
「へっ、マジで?」

 根っからの研究肌だと自分でも分かっている僕が、そのまま院に進まずに教職に就くと聞いて、昊は漫画みたいに眼鏡をずり落としてびっくりしている。
「や、でも、知ってんの?陽さん」
「何で陽くん?」

 昊は大学からの付き合いだ。
 一年の時、僕は昊の目の前で発作を起こして救急車で陽くんのいる病院に搬送された。そこで陽くんと知り合って、多分用意周到な陽くんは、昊に僕のお目付役でもお願いしているんだと思う。

「陽くんは、関係ないから」
「そうやけどさ、やけど諒、お前」

 ひとりじゃなんにもできやしないだろう?

 それが事実であることも、それを自ら足枷に卑屈になっているのは自分自身だと言うことも分かっている。
 そんなこと、陽くんだって、昊だって思ってはいない。それもよくよく分かっているのに。

「また要らんこと考えとるんやろ、お前」
 顔を伏せた僕に、昊こうはため息混じりに、そう呟いた。
「お前はお前やん。俺はただ陽さん過保護やさかいに心配しすぎてどうにかならはるんちゃうかと思うただけで、諒の心配はしとらんよ?だってお前案外頑固やし、自分の決めた事曲げへんやん」
 頑固?
 その言葉に顔を上げれば、頬杖をついている昊が、ニヤッと笑った。
「行くで、病院」
「え?」
「受診、もうだいぶすっぽかしとるそうやん。頑固もほどほどにせんと、陽さんに怒られんで」
「・・・もう怒られた」
 定食の最後の一口を飲み込んで、スマホの画面にチラと視線をやった昊は、鞄を肩に掛けて立ち上がる。
「先生なるんやったら、自己管理は余計にちゃんとせなあかんのとちゃうん」
「さっき話したばっかだろ・・・」
「ふはは、そうやっけ。ほら、今日は昼から休講やし、今から行けば診てもらえるやろ」
「・・・うん」

 確かに陽くんにとって僕は言うことを聞かない厄介な患者なんだと思う。
 僕と陽くんの親同士が同郷の幼馴染で、6つ離れた陽くんに出会ったのは、幼稚園の時、喘息の治療で入院した病院だった。その病院の院長先生が陽くんの父親で、陽くんはその病院で今働いていて、そこで、僕は深春とも出会った。

 深春が何処に住んでいるのか、僕は知らない。
 星を見に病院を抜け出したあの後、僕は熱を出して肺炎を拗らせて、その間に深春は退院していってしまった。

 もしかしたら、この場所にいれば、また深春に会えるかもしれない。

 地元の大学じゃなくて、この大学に入ったのも、深春との繋がりをどうしても断ちたくは無かったから。
 一人暮らしを始める時、陽くんがいるから安心して、と親を言いくるめた。

 ただ、それだけなんだ。
 僕が今でも星を見上げるのも。
 この場所に、いるのも。

 全部、全部、深春のこと。
 それが、全て、だった。

「なぁ、諒」
 その声に昊を見上げた僕を、昊は、その視線を揺らぎもしないで、真っ直ぐに見遣って言った。
「この先も、ずっと、そうやってお前、泣きそうな顔して生きていくつもり、なん?」

 多分、昊の言う通りだ。
 ずっと、僕の心は笑うことなんてない。

 深春が想いごと全部、持っていってしまったんだから。