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my faith diary

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調子乗ってました。

師匠や、U子に、わたしは頼りきって、寄りかかってました。
信仰的な人たちのことばを自分のものにしたり、
自分で判断できないことを、その人たちの判断に合わせたりしていました。
 
しかも祈り会とか祈りのへやとか、あぶらそそぎのあるところ、祈りが積まれてる場所は、そりゃー祈りやすいはず。
なのに、自分の信仰が成長したと勘違いして、
完全に調子のってました。


U子がいなくなったことと、師匠が久々に帰ってきたことで、すごく気づかされた‼︎

師匠には、交わる時間少しは持ってくれたものの、突き放された感があって、
そっか。わたしはこの人に依存してたんだってこと気付かされた(;_;)笑
師匠すごいなあ。わたしのこと分かって、わたしのためにそうしてくれたんだってことがわかるもん。


それで、結局わたしが頼っていた信仰の人たちが周りにいなくなって、1人になって、
それからなぜかタイミング合わなくて祈りのへやにも入れなくなっちゃって、
どんだけ、自分の信仰がちっぽけなのか、
神様との関係が浅いのか、
どんだけ自立できてなかったのかがわかった。

自分の家にいる時間が増えたとき、
あれ⁇わたし1人で祈れない。ってなった。

結局、結局、人の目をいつも気にしてたんだ。
自分がどんな風に見られてるか、信仰的に見られるように、どうふるまうか、
自分の根本にそういう思いがあったから、
結局、1人になったときに、本来の自分が出てくる。

どれだけ、神様に信頼おけてないのか、
自分の理解の中に生きてるのか、
自分の力で歩んでるのか、
もう、むりむりむりむり受け止められないってくらい、自分のしょーもなさが、見えてくる…。笑


それから、わたしの成功の概念が、結局人に目が向いてたんだ。ってことも教えられた。

奉仕をさせてもらってる中で痛感する。
まぁほとんどピアノの奉仕に関してなんだけど、
やっぱり人のために、間違えないこととか、臨在っぽい感じを出すために、どういうメロディ弾くか、どういうコード進行でいくか、音量はこんくらいかとか、
そういうことがいつも頭にあった。

結局、結局、結局…わたしは神様を求められてなかったんだ。
神様愛せてなかった。

だから、こないだ、全てを置いて、
ただ神様だけです、
わたしの成功は、神様がわたしに目を向けてくれてることを感じて、わたしがあなたに向かい、あなたを愛することです。
って奉仕しながら思って、そこに心尽くしたら、
神様めっちゃ臨在で満たしてくれて、
そしたらピアノもほんとに自然と弾けて、導かれて、
周りも祈りやすかったって言ってくれて、
結局、ただ、神様を第一に置き、
神様を心尽くし、全て尽くして、全力で神様を愛することなんだ……ってことがわかった。



今までめっちゃ狭い世界で生きてた。
祈らないってことは、結局神様に信頼おかずに、自分の力でやってるってこと。
結局いつも祈らず、自分の知識で、自分の概念の中で、生きてたんだー。

何か成長したように、変わったように思ってたけど、
もちろん実際成長したことはあるかもしれないけど、
でも、わたしの根本は、何も変わってないってこと。
わたしの根源の罪や、性質を取り除くことは時間がかかるってこと‼︎

でも、クリスチャンになって、聖霊さまがわたしの内に与えられてることは事実‼︎
わたしの罪、汚れは十字架の贖いによってきよめられてることも事実。

こんな、こんな罪人が、暗闇の中にいるしかなかった者が、救い出されて、神様のみ前に出れて、臨在に入れること、
子供として受け入れられてる、ってだけではなく、喜ばれてる存在だ‼︎ってこと、
感謝してもしきれないから、
だから、罪から離れたい、きよくなりたい(;_;)(;_;)(;_;)(;_;)
いえすさまのように、お父さんの愛を流し出す者になりたい(;_;)

調子に乗って、ほんとうにごめんなさい。
もう一度、神様の情熱を、与えてください。
はじめの愛に、エデンの園の愛に、かえらせてください。
わたしのアイデンティティを回復し、
腹の奥底、わたしの深い深い心の潜在意識から、作り変え、生まれ変わらせてください。
いつもただ、神様を一番に置き、神様が言われることを選択することができるように助けてください。
わたしが毎分、毎秒、神様を全力で愛していくことができるように、助けてください。
いえすさまのみなでいのります。あーめん。