それが溶けるには、主の愛に満たされることだーってわかったんだけど、
なかなかその臨在の中に入っていけなくて、
わたしの家での生活がそうとうだらしなくて、情けなくて、
神様に対してそむきの罪を犯し続けてきて、
今日のリバイバル祈祷会で、悔い改めて、悔い改めて、なんだか神様がほんっっとに遠く感じて、病んだ笑
前も祈ってたときに、自分がちっっさく見えて、お父さんのこと、私何も知らない…って思ったの。
世界がまるで違うの。
でも今日祈ってて、病んでて、笑
でも、そうじゃない、ぜったい希望があって、
わたしのこころの思いとは関係なしに、
神様の臨在は必ずここにある‼︎って信仰をもてたの。
だからお父さん、あなたがどれほど私を思ってるか教えてくださいーーって、
祈ったの。
でも、何もわからなくて、
じゃあ私は愛されてないの?ってほんとに一瞬思ったんだけど、
ちがうちがう、そうじゃなくて、
ひとり子イエス様を捧げるほど、愛してるって、みことばを通してもう教えてくれてたんだ。
それは事実なのだ。
そう思ったら、お父さんの愛を感じた。
そしたら、なぜか今教会から離れてる娘ちゃんのことを思い出して、祈ってたら涙があふれて、
同時にお父さんの愛もどんどんあふれて、
遠い遠いっって思ってたけど、気づいたら近づいてた。
そしたら、お父さんに何で会えないんだろう⁈って思って、
どうして直接会えないの⁈こんなに愛してるのに、どうして直接言えないの⁈ぎゅーってしてほしいのにどうしてできないの⁈
って思えてきて、つらくなった。
そしたら、最後の賛美でキリストの花嫁を賛美して、
イエス様と顔を顔を合わせて会えるその時が来るまで、待ち望む
ってこういうことなのかと思った。
心からマラナタって思った。
本当に解放と、感動と、恋い慕う涙があふれた。
ほんとにこの臨在の中で、作りかえられていくんだなって感じた。
希望を与えてくれるイエス様に感謝。
そしてわたしの汚い心も、固く閉ざされてる心も、恐れる心も、
全部膿みのようにじゅくじゅくと外に悪いもの出して、
きよめてくれてることを感謝。
キリストが教会を愛し、教会のためにご自身を捧げられたのは、
みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
エペソ5:26,27
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。
子羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を許された。
その麻布とは、生徒たちの正しい行いである。
黙示録19:7,8