ご無沙汰してます、寝太郎です。


またまたいつもの冬眠をしていたら、気付けば年の瀬です。


それが寝太郎なのです。


寒暖差アレルギーにやられて、あれってくしゃみや鼻水だけでなく、だるさとかもあるんですね。


ここ最近身体がだるすぎて、朝なかなか起きられなくて、風邪の引きはじめかな?と思っていたが、まさか寒暖差アレルギーとは。


世の中色んなもんがあるもんだ。


と、それくらいにしておく。


そうするようにしている。


深刻になったら、ただの沼。


自分の内側が自分の世界を創っているのは間違いないので、


「こーんなに大変で可哀想な私」になったら、


また悲劇のヒロイン劇場が始まるので(自戒を込めて)


「はいはい、またですか」


くらいにしている。


物事も、人間関係も、何事もそう。


悲劇のヒロイン劇場をやってると、同じく悲劇のヒロインやってるキャストが現れるので(しかも強烈なやつ笑)


「じゃあ何故私の前にそんなの(←)が現れるのか」


に気付かないと、その劇場から抜け出せない。


目の前に現れるのは、何らかの自分の抑圧している、とか蓋してるとか、自分が見たくないものを見せつけられている。


「あー私こんな痛い悲劇のヒロインごっこやってるんだ(←)」


と「人の振り見て我が振り直そ」と冷静になれば、しょうもないドラマから抜ける。


人のことあまり嫌いにならないし(というかそもそも他人にそんな興味がないし)、その中で久しぶりに今年めちゃめちゃ嫌いだなって思った人間が、


・人の粗探し、見下し、悪口言いまくり

・しかもそれを正当化し、こちらにも強要する

・上記内容全て「...いやどの口が言ってんねん」と「自分を棚に上げて」というお手本

・自分は与えられ優先されて当然、しかし自分は与えないし我が先


こんなのただ面倒くさいだけだし、自分が攻撃されなければ無視するか適当にスルーすればいいと思うが、私自身にも直接言われ、さすがに腹が立ったので私側からも指摘すると(因果応報的に仏教的には自分がされた場合は同じことを返していいと聞き、最近は感情的にならない程度に返すようにしている。こういうのは感情的なったら負けだと思っている。あと仏教徒ではない←)


即座にへーこら謝ってきた。


「..いやそんな信念ないなら最初からすんなよ...」とだだただ呆れた。


「悪口を言うこと」を熱弁しこちらに強要したくらいだから、自分なりの信念があるのかな、と思ったら(それはそれで、別その人の人生なのだから別にいいとも思うし)


大してないんかぃ。


そもそも本当に自分に信念があったら人に共感なんか求めない。


まぁこういうのに限ってちょっとつついたら、ブレブレなのも知っている。


自己愛が強いわりに、自己肯定感が低い典型例なのだろう。という分析。


と、まぁ相手のことをどうこう言ったってしょうがないし、


相手云々ではなく、「何でこんな人間と私は付き合っているんだろう」と我に返る。


「そんな人間と離れない自分のヤバさ」に気付かないと。


で、そんな人間が私の目の前に現れたということは、少なからず私の中の何かに共鳴したということだから、


「えーなんだろう最悪(←)」


と思って内側を深掘っていくと、


全ての項目において私が「してはならない」と強く思っていることを、丸ごと見せてくれていたのだなと気付いた。


そう教えられて生きてきたし、無意識に自分に染み付いている。


でも確かにこの世に絶対的に「ねばならない」なんてことはないし、それにはそれのメリットだってあるのだろう。


私が「してはならない」と抑圧している部分をただ見せてくれているだけ、以上。


事実はそこまで。


ジャッジしていたのは私で、別にいいも悪いもない。捉え方の問題。


私が片方に偏っていたから、反対側を見せてくれているだけ。


それがわかった上で、


「じゃあ自分はどっちが好きか」

「なにが心地いいのか」

「どう生きたいのか」


それに改めて気付かせてくれた。


片方を強く握り締めているうちは、そういう不都合な人や物事が現れるが、両側を理解した上で、


「自分はどう生きるか」


を選択すれば、不都合な人も物事も現れなくなる。


現にその人との縁は切れた(というか私が反論したので、気まずくなって切られたというのか笑)


こちらとしては嫌いな人間に嫌われたらラッキー♪(だって二度と関わらなくてすむから)と思っているので、反論して自分の意見を言ってスッキリして、縁も切れるという一石二鳥だった。笑


思い返せば、昔から自分の周りは優しく、強く、賢く、愛で溢れている素敵な人ばかりなので、自分が恵まれていたことにも気付かず、そこに甘えてある意味そのコンフォートゾーンから抜け出さずに、視野がぬるま湯だった。


ここ1、2年は全然違う人生や生き方をしてきた人と沢山出会う機会があって、世の中には自分が思う価値観や生き方や考え方が違う人々も沢山いるのだと、当たり前なのだけど気付かされた。


たまには自分とは違う外側の世界も覗かないと、自分の器は大きくならない。


それこそ悟りの道なのだろうが、そこにいいとか悪いとか出来るだけジャッジせず、チャレンジしていきたい。


あくまで人間としての境界線は忘れずに。


「そういう考え方、世界は私には合わないし、好きじゃないので」ってハッキリ言えるように。


「罪を憎んで人を憎まず」


「人は拒絶しないけど、行動は拒否する」


そういうことがしっかりと出来るように。

(それが出来る日本人ってどれだけいるんだろ笑)


怪我の功名で、自分が今までどれだけ恵まれていたのにも気付けた。


家族、親友、パートナーに改めて感謝し、大切にしようと思ったし、


今思い返せば縁遠くなってしまった友達も、過去の彼氏も、普通に皆優しく、いい奴だったなとしみじみする笑


「自分という人間は自分の周り5人の平均」


らしいが、自分の周りは皆素晴らしいので、


てことはまぁ自分もそんなに悪くはないのかなと思うことにする。


何だか話は長くなったが、


「今いてくれる自分の周りに感謝して生きよう」


という締めで終わることにする。


...いや要約すぎぃ!


冬眠から目覚めたばかりなのでこの辺でご容赦を。


寝太郎は寝るのが仕事です。


おやすみ寝太郎。


また遊ぼう。