人生常に登り坂で | ~東南アジアに住むラッパ吹きのマッピ製作と日常のブログ~

人生常に登り坂で

何年か前に親父に言った事がある。

「60、65歳定年っていっても未だ未だ働けるし貴重な経験を若い人に伝えていけるのにもったいないケースが多くね?」

っていったところ、

「定年を迎える遥か前から終わっているのも多いけどな」

という答えが返って来た。

ごもっともで!!!


でも一括りで定年何歳、って決めてしまうともったいない人多いよなー。

そういう人たちが身の回りに多かっただけだろうか。

職種に関係なく仕事が生き甲斐で人生を歩んで来た人、そうでないにしても仕事以外何もない人が定年を迎えた後の喪失感は物凄く大きいのではないだろうか。

話はちょっと飛ぶが、以前100歳を超えた金さん銀さんという双子のおばあちゃん達がいたのを皆さん覚えていると思う。

メディアに「デビュー」したばっかりの頃は可成リおボケになられていてサインもロクに出来なかったが(解読不能)、半年後だかなんかのサインを見ると、凄い!!!しっかり読めるものに変わっていた。

要は常にある程度の刺激、適度なストレスや任務(感?)がボケさせない秘訣なのではとおもう。

たしかに仕事は人間をボケさせないためのものではないが、ボケたらもったいない人たちが多い。

僕が嫌いなイギリスだが、ちょっと前に定年制をなくす、というニュースがあった。
個人的に珍しく好感を持ったニュースではある。
政治的背景はあると思うが、まだまだ社会に役立つ人間を「定年」で勿体ないことにするの食い止める事には役立つのではないだろうか。

自分の親や親戚を見ていて70-80歳であってもボケずに、というよりは遥かに人並み以上に社会の役に立つ、じっさいに立っているひとがいるのは事実だ。

それで結局どんだけ稼げるかは問題ではないだろう。
何かの生き甲斐や「人様の役に立っている」という事が人間を錆びさせない事に役立つだけでなく社会の為にもなるんじゃないのかな、と。

親父が言った様な意味で使えなくなった人間が微収入にしがみつく材料にならない様にするのも大変なんだろう。

自分の仕事に関してはオーダーがあればやればいいし、無くなれば自分のを作って遊んでいればいい。そして好きな様にラッパ吹いていればいい。
そう思えば他人からどういわれようとリタイアの無い幸せな人生ではある。

なーんて思ってみているおめでたい男でした。