シラブル考察
正直、ドリブルなんてどうでも良いんです(笑。
バジングに続く大嘘暴露シリーズ第2弾です。
まぁ、所詮馬鹿な人間の書いている事なんでいくらでも否定どころはあると思いますよ。
で、リップスラーとかのときに「舌を上下にポジションをとる」っていう様な事書いてある本あるじゃないですか?エアーの圧力だかスピードだかをかえるのに有効だとかなんとか。
やってみても全然わからないんですけれど~
ぼくぅ、ダブルハイC出るんですけれどぉ、ベロの位置が変わらないんでちゅぅ~
はい、キモイですね。
でも僕が述べた事を言ったところで「間違っている吹き方だからなおしなさい」っていわれたり「そう思っているだけで本当は変わっている筈だ」っていう風に言われるのがオチですね。
バーカ、バーカ(←言い過ぎ注意、レッドカード)
でも変えていないだよ~
僕がどんなにアホでも馬鹿でも世間知らずでも、赤点大魔王だったにしても演奏しているときに舌の位置が上か下か位はわかる
ロングトーンしながら舌の位置などを色々と変えてみてください。音色は多少変わるけれど音そのものは全然移行しないんですけれど。仮に移行したとしてもスンゴイ変な音になっていたり究極に上げるか下げるかみたいな、あり得ないくらいの動きの時じゃないっすか?
音を変えるのにそこまで非力&無力な舌なのに、音一つ一つに舌のポジションがあると信じている、主張している人が結構いたりする
んじゃリップスラーとかするときにお前は絶対に舌が動かないんだな?!?!えっ!?!?!?!
と意気込んでいるアナタ、それも極論です。固定しているとか全く微動だにしない、とはいっていません。
舌は多少動きますよ。だって絶対的に働く喉頭器官と舌は直結していますもん。
でも舌によって音を変えている訳じゃない。と言う事なんですよ。
これ、大事ね。わからない人いますか?
いますねー。残念!!!
しょうがないですよ。だって物凄い有名な先生やプレイヤーが本に書いちゃったりレッスンで出来ない生徒を教えるのが大変だから面倒くさくて世間一般と同じ主張をしちゃってるんだもん。
出来る人にとっては舌のおかげで音が変わっていようが、結果的に舌の位置が変わっていようがどうでも良い事でしょ。しかもトップなプレイヤーだったら教える事よりも自分が吹ける事の方が大事で真剣にそんな事話そう、教えようなんて思わないっすよ。すでに世論がシラブル支持になっている訳で、正しくなくても教本通りの事をいえば「ごもっともで」という風になる。異議を唱えるだけで波風が立つからだ。
先ほど聖徳や東邦を教えている小原さんとチャットしていて盛り上がったのがここ。
「すでに教えられた事が正しいという固定概念が出来上がっているので、それ以外の事を受け入れる頭と心の準備ができていない人が多い」
ということだ。バジングの事も然り。
同じ音量でもファーガソン的なキュイーーンもあればガンシュが見事にテレマン等の古典で聴かせてくれる頭声でとったハイトーンもある。舌の位置やバジング感覚を頼りにはあの演奏感覚や音色の取り方は説明できないでしょう。しかもバジング思考回路では振動増幅感覚でしかハイトーンを出せないので音色へのアプローチが「タンギング頼み」にならざるを得なくなる。
本当はそれすら難しくなってくるんですけれどね。
ガンシュの名言
「確かに人間はチューバからピッコロラッパまでの広い音域を吹かなきゃいけないけれど、人間の口の中の容積は限られているよね、シラブルの説明だっていろんな観点から考えてみると無理が多い」
ガンシュも「舌はちょっとは動くけれどそれで音は変えていないし、いわゆる上下運動ではないね」だそうです。
要はバジングもシラブルも「物理的説明」を誰にでもわかるように試みた結果だともいえるかもしれない。
中略(言いたい事はたくさん)
でも音ってさ~、音楽ってさぁ~、「やり方があるから結果がこうなった」というんじゃないでしょ。
もう欲しい音楽とか、節回しとか、あってそれに見合った「こうじゃないと音楽にならないよ!!!」っていう音があるでしょ。これ、結構心の叫びっす。
ガンシュから学んだのはここですよ。ガンシュの音楽はあの音をガンシュから引き出させたんですよ。
「倍音が豊かだから素晴らしい」「柔らかくて深みのあるあの音色が・・・」
って皆、いいますけれどね、局部的じゃないですか。
あの音楽あってあの音色。
柔らかくない音だって、浅くて切れ込む様な表現だってガンシュはしますよ
。
やり方だけを求めて、先生に言われた通りにやればいつか「運が良ければ」CDなどで聴くあこがれのラッパ吹きの音になれるかな、って思っても絶対に無理です。
日本に本当の意味での「文化」を根付かせる為に必要な第一歩は音楽を愛する心だけでなく、何が本当に美しい音なのか、音楽を表現する為の本質的に美しい音とは何かを音楽と自分の声で知る事だと思う。
決して上手に吹くための「情報」だけではダメだ。
教える立場の先生が本気で自分をさらけ出して生徒を上手にしようとしないと生徒は育ってはくれない。
ザックリ言って現状では才能と勘の良い生徒だけが上手になるんだと思う。
そういった意味で日本人は器用だな、と思う。これだけ「上手に」吹けるプレイヤーが育っているのだから。
でも、本当の意味で魂を感じる素晴らしいラッパ吹きは本当に一握りだ。
それは特別選ばれた人がなっているのではないと思う。どうありたいかを見えていたからそれに近づいたのだ。個人的に演奏は全く好きではないが、昔ハーデンベルガーさんが「僕がこうなりたいと思ったから今の自分があるんだ」と言っていた。素晴らしい言葉だ。
シラブルの話から色々と話はとんだ。結果的にドリブル式で記事を書いた事になる。
そんな自分にカンパ~イ
ボチッと押してください~

まだまだ書きたい事はたくさんありますが、またの機会にします。
実はマッピ制作よりもラッパ吹きが本業なので。
ではまた~
バジングに続く大嘘暴露シリーズ第2弾です。
まぁ、所詮馬鹿な人間の書いている事なんでいくらでも否定どころはあると思いますよ。
で、リップスラーとかのときに「舌を上下にポジションをとる」っていう様な事書いてある本あるじゃないですか?エアーの圧力だかスピードだかをかえるのに有効だとかなんとか。
やってみても全然わからないんですけれど~
ぼくぅ、ダブルハイC出るんですけれどぉ、ベロの位置が変わらないんでちゅぅ~
はい、キモイですね。
でも僕が述べた事を言ったところで「間違っている吹き方だからなおしなさい」っていわれたり「そう思っているだけで本当は変わっている筈だ」っていう風に言われるのがオチですね。
バーカ、バーカ(←言い過ぎ注意、レッドカード)
でも変えていないだよ~
僕がどんなにアホでも馬鹿でも世間知らずでも、赤点大魔王だったにしても演奏しているときに舌の位置が上か下か位はわかる

ロングトーンしながら舌の位置などを色々と変えてみてください。音色は多少変わるけれど音そのものは全然移行しないんですけれど。仮に移行したとしてもスンゴイ変な音になっていたり究極に上げるか下げるかみたいな、あり得ないくらいの動きの時じゃないっすか?
音を変えるのにそこまで非力&無力な舌なのに、音一つ一つに舌のポジションがあると信じている、主張している人が結構いたりする

んじゃリップスラーとかするときにお前は絶対に舌が動かないんだな?!?!えっ!?!?!?!
と意気込んでいるアナタ、それも極論です。固定しているとか全く微動だにしない、とはいっていません。
舌は多少動きますよ。だって絶対的に働く喉頭器官と舌は直結していますもん。
でも舌によって音を変えている訳じゃない。と言う事なんですよ。
これ、大事ね。わからない人いますか?
いますねー。残念!!!
しょうがないですよ。だって物凄い有名な先生やプレイヤーが本に書いちゃったりレッスンで出来ない生徒を教えるのが大変だから面倒くさくて世間一般と同じ主張をしちゃってるんだもん。
出来る人にとっては舌のおかげで音が変わっていようが、結果的に舌の位置が変わっていようがどうでも良い事でしょ。しかもトップなプレイヤーだったら教える事よりも自分が吹ける事の方が大事で真剣にそんな事話そう、教えようなんて思わないっすよ。すでに世論がシラブル支持になっている訳で、正しくなくても教本通りの事をいえば「ごもっともで」という風になる。異議を唱えるだけで波風が立つからだ。
先ほど聖徳や東邦を教えている小原さんとチャットしていて盛り上がったのがここ。
「すでに教えられた事が正しいという固定概念が出来上がっているので、それ以外の事を受け入れる頭と心の準備ができていない人が多い」
ということだ。バジングの事も然り。
同じ音量でもファーガソン的なキュイーーンもあればガンシュが見事にテレマン等の古典で聴かせてくれる頭声でとったハイトーンもある。舌の位置やバジング感覚を頼りにはあの演奏感覚や音色の取り方は説明できないでしょう。しかもバジング思考回路では振動増幅感覚でしかハイトーンを出せないので音色へのアプローチが「タンギング頼み」にならざるを得なくなる。
本当はそれすら難しくなってくるんですけれどね。
ガンシュの名言
「確かに人間はチューバからピッコロラッパまでの広い音域を吹かなきゃいけないけれど、人間の口の中の容積は限られているよね、シラブルの説明だっていろんな観点から考えてみると無理が多い」
ガンシュも「舌はちょっとは動くけれどそれで音は変えていないし、いわゆる上下運動ではないね」だそうです。
要はバジングもシラブルも「物理的説明」を誰にでもわかるように試みた結果だともいえるかもしれない。
中略(言いたい事はたくさん)
でも音ってさ~、音楽ってさぁ~、「やり方があるから結果がこうなった」というんじゃないでしょ。
もう欲しい音楽とか、節回しとか、あってそれに見合った「こうじゃないと音楽にならないよ!!!」っていう音があるでしょ。これ、結構心の叫びっす。
ガンシュから学んだのはここですよ。ガンシュの音楽はあの音をガンシュから引き出させたんですよ。
「倍音が豊かだから素晴らしい」「柔らかくて深みのあるあの音色が・・・」
って皆、いいますけれどね、局部的じゃないですか。
あの音楽あってあの音色。
柔らかくない音だって、浅くて切れ込む様な表現だってガンシュはしますよ

やり方だけを求めて、先生に言われた通りにやればいつか「運が良ければ」CDなどで聴くあこがれのラッパ吹きの音になれるかな、って思っても絶対に無理です。
日本に本当の意味での「文化」を根付かせる為に必要な第一歩は音楽を愛する心だけでなく、何が本当に美しい音なのか、音楽を表現する為の本質的に美しい音とは何かを音楽と自分の声で知る事だと思う。
決して上手に吹くための「情報」だけではダメだ。
教える立場の先生が本気で自分をさらけ出して生徒を上手にしようとしないと生徒は育ってはくれない。
ザックリ言って現状では才能と勘の良い生徒だけが上手になるんだと思う。
そういった意味で日本人は器用だな、と思う。これだけ「上手に」吹けるプレイヤーが育っているのだから。
でも、本当の意味で魂を感じる素晴らしいラッパ吹きは本当に一握りだ。
それは特別選ばれた人がなっているのではないと思う。どうありたいかを見えていたからそれに近づいたのだ。個人的に演奏は全く好きではないが、昔ハーデンベルガーさんが「僕がこうなりたいと思ったから今の自分があるんだ」と言っていた。素晴らしい言葉だ。
シラブルの話から色々と話はとんだ。結果的にドリブル式で記事を書いた事になる。
そんな自分にカンパ~イ

ボチッと押してください~

まだまだ書きたい事はたくさんありますが、またの機会にします。
実はマッピ制作よりもラッパ吹きが本業なので。
ではまた~