コンクールってなんなんだろう? | ~東南アジアに住むラッパ吹きのマッピ製作と日常のブログ~

コンクールってなんなんだろう?

昨日、今日とコンクールの本選会でのオケ伴奏の仕事です。

昨晩はヴァイオリンだったのですが、やっぱり楽器の違いが物凄いハンディになるんですね。

一人はブルッフ、もう一人はパガニーニのコンチェルトだったのですよ。
ブルッフの子はわけわからん安い楽器(でも鈴木さんのではないと思います)、もう一人のは学校(シンガポールのコンセルバトワール)が本命路線としてその子に貸し出している「えらく良い楽器」を使った訳です。

素人が聞いても「こりゃ、損だわ~」って思う程差がありました。
でも審査員もその辺の事はわかっているから差っ引いて評価すると思いきや・・・
良い楽器の子が1位。

審査員の何人かはコンクール関係者との接触を禁じられているにもかかわらず、優勝候補(結局1位になった)の学校の先生や校長と食事に出かけたり、と政治的な背景がチラホラ見受けられたり。

本当に弦楽器の人は楽器に関しては大変だと思いましたよ。
弓1つで何百万とか。1000万超えるのもあったりするのだろうか?

こういうのはその人がそういう楽器を買える、もしくは借りる事が出来る環境にある事とかが大きく影響する訳で非常にアンフェアだと思ってしまう訳です。

まぁ、しょうがないとしてもそこを差っ引いて評価しようとしない審査員も(政治的背景があるから当然でしょうが)人間としての汚さを感じました。

国際的にコンクールは政治な戦いでもあると聞きます。
今回は○○先生の生徒に譲るから来年はうちの生徒で宜しく、みたいな取引の話も聞いた事があります。

コンクールに向けて一生懸命頑張って来た人たちは単純に審査員の為の「政治用の駒」でしかないのでしょうか? 

世の中ってそういうもので、自分たちもそういう中で生き抜いて来たからこの子たちにも押し付けよう、そうやって彼らも学んでいくのさ~

という事なのでしょうか?確かに学問的なテストではないのでどっちの方が優れている、という「証拠」はありませんし、証明だって困難です。

だからこそ音楽を愛する精神に基づいて、誰の生徒であろうともフェアに正直、率直に評価するべき場がコンクールだと思うのです。

ちなみに僕自身は楽器部門に関わらずコンクールの結果という物は全く信用していません。仮に「フェア」にジャッジされた結果であってもその時の評価でしかありません。コンクール結果が良かった人程、底に落ちやすいのも事実です。
自分を「過信」しやすいからでしょうか?

というわけで勝手な意見を述べさせて頂きました。皆さんはどう思われますか?