311.
震災から5年という月日が経ちました。
被災者の方々にとっては
私が感じる五年とは比べようがないほどに
辛く長い日々が続いているように感じています。
震災の犠牲となり亡くなられた方々へのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
五年前の3月11日は、
Amway Cupという試合のため台湾にいてまさに試合中に日本で震災がおきました。
テレビ中継で日本人代表としてコメントを話すことになり
『少しでも犠牲者が少なくすむように、
お祈り申し上げます。』
と発しながらも、
大量の建物がぐちゃぐちゃに崩れている状態で、海に家が燃えながら流れている中継映像を見せられながら
放心状態でした。
自分の国で起きていることだとおもえなかった。
だけど、台湾でも朝から晩まで流れるニュースをみて家族や友人の話を聞き悪夢のような現実へと落とし込まれていきました。
台湾やアメリカのニュースの方が原発の事も含め重大なニュースとして伝えていて、日本の情報が与えてる危機感との温度差を感じたのをおぼえています。
津波の被害で
友人が、家と家族を無くしました。
吐き出す場所も想いを訴えるところもなく、ときに理不尽な扱いも受けながらなお
強く生きている友人に
本当に長いあいだ 苦しい中
頑張ってすごいね。
と、心からはぐをしました。
天災での犠牲は、拠り所のない気持ちを整理するまでにとても時間がかかったけど
家族の分まで明るくしっかり生きていこうと思うと 話してくれた。
ただひとつ、報われないのは
震災の2日前に、お母様と口論になったことがあったそうでキツい言い方をしてしまったのが最後だったとのこと。。
そんなことは、お母様もずっと気にしてほしくなんかないと思うし
最初から許してるとおもうよ。
と宥めると、また涙を流していました。
沢山の抱えきれない想いが、
何十万人分あるだろう...
出来ることは小さいけれど、台湾の皆様の気持ちが莫大な力となったように
小さな力が集まって大きな助けとなることを信じて
未だ解けない氷を少しでも溶かすことが出来ればと想います。
どうか被害を被られた方々へ
春が訪れますように
