人生とは何と呪わしいものか。
ある時は意地悪く突き放し、ある時は愛想よく笑って見せもする。
お前にかかったら人間の栄華なんぞは炎にかざした氷のようなもの。
簡単に溶け去ってしまう。

→これは、「おお、運命の女神よ」という歌の一部。
たぶん格闘技の番組とか大晦日に聴いたことがあるはず。
けっこう圧倒される歌で、ちょっとばかし怖い。
それに英語じゃなさそうな言葉で歌っているから、違和感があってなおさら怖い。
調べてみると、やっぱり英語ではなくラテン語で、ドイツの修道院で発見された詩歌集“カルミナ・ブラーナ”を基にカール・オルフという人が作曲したものらしい。
日本語訳されていた歌詞をよんでみるとすばらしくて、驚いた。何気なく聴いていた歌がこんなにもすばらしいとは。
内容はダークで終盤に行くに連れて破滅的になっていく。
鮮明で華やかな歌じゃない。むしろ、間逆で気持ちが落ち込みそうな歌。
でも、すばらしい。
破滅的ではあるけれど、その崩れていく破滅の中に、人の本当の気持ちや生きていく道があるのだと感じたから。
何世紀も経た人間がすばらしいと思う歌があることがすごい。
昔の人には頭が上がらないなぁ。
今の歌が何世紀経ったら、どう感じてくれるんだろう?
もう1回聴いてみよ。O Fortuna!!
ひとりで電車に乗っている時は…
①音楽を聴いている
②メールをしている
③ゲームをしている
④読書をしている
⑤寝ている
とかいろいろある。
乗っている時の状況であったり、自分自身の心境によって、異なると思うけど、ひとりで電車に乗っている時は退屈だと感じる人が多いと思う。
一方ではtrainlife?とは言わないけど、楽しみを見つけて、結構たのしく乗っている強者な人もいるかもしれない。
自分は強者ではないけど、楽しく乗っているかも。
電車の中では「外を見る」で楽しんでる。
普段よく乗っている電車から見える景色をずっとみて…知らない所に行く時はワクワクしながらみている。
外を眺めていても、建物ばかりで何もおもしろくないし、普段乗っている電車だったら同じ景色で何がたのしいのかと思うかもしれない。
でも、自分は飽きることがない。むしろ日に日に楽しくなってる。
度を越すとガラガラの席に座らず、突っ立って眺めているくらい。
別にある時間帯になるとかっこいい人がマンションから出てくるから楽しいとかではなくて、建物とかが、太陽に照らて光っていたり、曇りってどんよりとしたグレー色の空気の中に建っていたり。と乗る時々に景色が違って見えて楽しい。
それこそ、乗っている時の状況であったり、自分自身の心境によって、景色がまったく異なって見えてくる。
ベランダで気持ちよさそうにTシャツが風になびいていても、自分の中でイライラしていると、「Tシャツも自分みたいにイライラしてる」と感じて見えたりする。
自分の気持ちを景色に投影して、自分自身で“自分の気持ち”を眺めているから、飽きないのかもしれない。
なんて景色を見ながら考えていた。
「~さんのブログ」のところがすごいことになってた。
半ば適当につけたら、こんなかんじで使われてるとは思わなかった…
知ってる人がみたら、気持ち悪いって思うかも…もっとちゃんとしたのにすればよかったなぁ。
でも…まぁ…いいか。
人それぞれに心の支えになってるものは少なからずあるはず。
家族とか恋人とかペットとか。
大げさかもしれないけど、自分のなかの支えになってるものはこの気持ち悪いもの。
気持ち悪いっていっても勝手に組み合わせてつくったものだから、本来のもの自身が気持ち悪いわけじゃなくて、自分のネーミングセンスが気持ち悪いということで、読んで下さっている方がいたら、ややこしいって思うかもしれない。
話しは戻って、心の支え。
この頃、いろいろ考えることが多くて、一つのことに何日も悩んでしまう。
ひどい時は自分の存在に疑問を持つくらいまでになってしまう。
今こうして文字を打っているときさえ、心が落ち着いていない。
別に誰かから攻撃されているわけでも、拘束されているわけでもない。
自分の中に意味もなく爆弾を埋めて、むやみに発火させて自滅している。
いつも自滅してチリになってもまた自分に戻してくれるのが、ebdwardellaだった。
ebdwardellaはedwardとbellaことで、小説のトワイライトの主要人物。
まさか架空の人物に助けられるなんて思わなかった。むしろ「そんなのありえない」って思う側だった。
どうしてこうなったのかは上手く言えないけど、架空の彼らはいつも心の中にいてくれた。
いてくれるといっても、天の声のようにささやいてくれるみたいなことではなく、そっといてくれているイメージ。
この歳になってやっと読書の大切さがわかったかな。
人はひとりじゃ生きていけないんだね。