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萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

ちょうど40年ぶりとなる2016年の7月に「ポーの一族」の連載が再会され、現在も、連載中です。
当ブログではこれを「新シリーズ」、以前のものを「旧シリーズ」と呼びます。


新シリーズに関しては、連載中であるため、論表をするのは時期尚早ですが、このページでは、これまでの設定を中心にして、テーマ、モチーフの継承関係や、今後の展開について書きます。





<2016年>


旧シリーズでは、各作品の作中の設定年代は、作品の発表順とは違って前後していました。


1975年に設定された最終作「エディス」(1976)のラストでは、アランが火事になって燃える館の二階から落下して亡くなり(亡くなったように描かれ)、エドガーが「もう明日には行かない…」と言い、その後は描かれませんでした。


そして、ランプトン卿がエドガーは死んだと言い、クエントン卿はどこかにいるに決まっていると言って終わりました。


新シリーズでも、作中の設定年代は、細かく前後しながら物語が進みます。
そのほとんどは、アランの生前の話(1944年、2016年、1958年、1975年、1963年、1888年)ですが、唯一、2016年の話「ユニコーンVol.1わたしに触れるな」があります。


この話では、「エディス」の後、エドガーは、アランを追って飛び降り、アランを抱きしめて気を失いましたが、死なずに復活しました。
そして、アランは、炭のようになって活動停止しましたが、完全には死にませんでした。
そして、エドガーは、このアランを復活させようとして、持ち歩いています。


この作品では、エドガーがアランを復活させようとしている理由について、「無垢なものがほしい」からだと語ったセリフが印象的です。


このセリフは、「残酷な神が支配する」のジェルミの、「ぼくはどんどんくさくなっていったから、きれいなものがほしかったんだ」というセリフを継承したものです。

 


<滅びの美学と生の追求>


なぜ、40年を経て、萩尾望都が「ポーの一族」の続きを書こうと思ったのか?
そして、「もう明日には行かない」とエドガーに言わせたのに、エドガーが復活し、アランも復活させようとしている設定に変更したのでしょうか?


旧シリーズには、バンパネラの、貴族の、そして、少年の、非生産的な、「デカダンスな美学」がありました。
ポーの一族は、働かず、子を生まず、人間から血(生命力)を奪うだけの存在です。
そして、「エディス」には、エドガーの「滅びの美学」がありました。


ですが、その後の萩尾作品には、「生」や「復活」を描いたものが多数あります。


「スター・レッド」のラストでは、エルグがセイの死を受け入れ、「ぼくは今から狂うことにする」と言って、おそらく、個としての存在を捨てました。
この点で、エルグはエドガーと似ています。


ですが、エルグはセイへの愛を惑星に刻み、死の惑星を復活させ、少しの希望を残しました。


「マージナル」のイワン博士は、妻がいなくなり、自分の実権が失敗したと思って「滅び」を望んだにも関わらず、委員会から焼き討ちされた時、最後に、キラ達に「逃げろ」と叫びました。
そして、キラは、最後に、死の海を復活させました。


イワン博士は、滅びの意志を翻した点でエドガーと異なります。


そして、すでに書いたように、「ポーの一族」を意識した設定が明らかな「バルバラ異界」のラストは、時夫が愛する息子のキリヤが墜落死します。
これは、アランが墜落した「エディス」にそっくりな状況です。


ところが、時夫は、すでに起きたことは変えられないと言われても、駄々っ子ようにそれを認めずに、結果的に、息子を復活させる道を見出しました。


この時夫を姿は、アランの死をすぐに認めて後を追ったエドガーの「滅びの美学」とは、まったく違います。

萩尾望都が「バルバラ異界」で時夫を描いたことは、新シリーズ再開の、大きなきっかけになっているでしょう。


「バルバラ異界」の影響は、他にもあります。

 


<ルチオ一族>


新シリーズでは、これまで描かれなかったポーの一族の歴史が描かれています。
それと同時に、ポーの一族と対になるような「ルチオ一族」について描かれます。


「ポーの一族」の始祖の大老ポーも、「ルチオ一族」の始祖のシスター・ベルナドットも、ともに「ギリシャの予言者」と呼ばれる神官と巫女でした。


「ルチオ一族」になるのは、オットマー家の男性だけです。
オットマー家の男性は皆、「眠れない病」になって45,6才で死にます。
ルチオ一族は、その時に、バンパネラになることを選択した者で構成されます。


ただ、始祖のシスター・ベルナドットだけが例外で女性です。


「ポーの一族」の始祖が男性で、不老であるのに対して、「ルチオ一族」の始祖が女性で、短命という点で対照的です。


それに、「ポーの一族」が「眠りの時季」を持つのに対して、「ルチオ一族」が不眠だったという点でも対照的です。


両一族の設定が対照的であるならば、「ルチオ」は「光」という意味する名前なので、「ポーの一族」は「闇」という性質を持っているのかもしれません。


ルチオ一族の短命という設定は、「バルバラ異界」のエズラ一族の設定を継承しています。
また、エズラ一族の青博士が、ギリシャ出身と自称していた点でも、つながりがあります。


また、特別な女性が一人いて、後は男性のみという設定は、「マージナル」のモノドールの人間から継承しています。


「老化」、「不眠」、「光」、「男性のみ」といった設定は、ルチオ一族の「排斥する者」、言い換えれば、意識的原理という性質を表現しています。


一方、対照的であれば、ポーの一族は、「排斥される者」、無意識的原理という性質に対応するハズです。


ですが、両者ともに、「自己否定する者」という性質を持ちます。
ポーの一族が持つ、「眠りの時季」の意味は、「復活」のための「死」であり、生命力を欠いていることと、「眠り」という生命力とつながっていることの二重性を表現しています。

 


<大老ポーとフォンティーン、大老ポーとエドガー>


9世紀頃に、大老ポー達はローマからイギリスに至り、「ポーの一族」を名乗ってトリッポ城に住み着きました。
一方、老ハンナとクロエ達ブリトン人が「ポーの村」を作りました。


トリッポ城では、フォンティーンが派手な生活をしたため、トレッポ城が騎士に焼き討ちされました。
焼き討ちのモチーフは、「マージナル」のキラ達、「バルバラ異界」のバルバラ島から継承しています。


大老ポーは派手な生活を反省して、フォンティーンをポーの村の地下に捕らえて眠らせ、薔薇に力を与え、薔薇を咲かせる存在としました。


フォンティーンの義弟バリー・ツイストは、義兄を助け出すことができず、これを地獄と見て、ポーの村を離れました。
また、大老ポーを殺そうとして、返り討ちにあい、何度も死にそうになっています。

 


大老ポーとフォンティーンには、抑制的な人物と奔放な人物という対照性があり、大老ポーはフォンティーンを犠牲にしています。
バリーも虐待されていると言えます。


大老は父的存在なので、これは息子を虐待する父というモチーフと象徴的に等価になるので、「残酷な神が支配する」などを継承していると言えます。
大老を王と見れば、「モザイク・ラセン」や「銀の三角」からの継承とも言えます。


また、大老ポーの不自由なルールに背く者という点では、エドガーもフォンティーン兄弟と同じです。
そして、エドガーは、大老ポーとの約束で、年に一度、一族にエネルギーを与えさせられているので、犠牲になっているという点でも、フォンティーンと同じです。


この、フォンティーンやエドガーがエネルギー(血)を奪われ続けるというモチーフは、「バルバラ異界」のバルバラの住人から継承しています。
また、これは、虐待され続ける、犠牲になり続けるというモチーフと同様に、「排斥」されていることを意味します。


ただ、エドガーは、大老ポーとの関係では縛られる側ですが、アランとの関係では、逆に、縛る側にいる、という二重性があります。

 


<フォンティーンとバリー、エドガーとアラン>


フォンティーンとバリーの義兄弟は、美しい兄とダサい弟として対照的に描かれています。
これは、「半神」の美醜対照的な姉妹のモチーフを継承します。
 

両作では、美しい方が奔放な性格であるという設定が同じです。

ですが、「半神」の妹は養分を与えられているのに対して、フォンティーンはエネルギーを取られる存在として描かれています。


また、フォンティーンとバリーの関係は、開放的であるがままな自分である者と、それを愛する者の関係です。

これは、アランとエドガーの関係でもありますし、多数の萩尾作品で描かれる関係です。


奔放な性格という点では、アランとフォンティーンは同じなので、バリーはアランも好いています。


アランは仮死状態という点でも、眠り続けるフォンティーンと同じです。
これは、「排斥」されていることの結果です。


それゆえ、彼らを復活させようとしている点で、エドガーとバリーは同じです。

 


<秘密の花園と聖バルバラ>


「残酷な神が支配する」では、「錬金術的」という言葉で、「愛」によってすべてが溶けた状態、浄化された状態になることを表現していました。
また、その状態を経て再生することが「子宮」から生まれるイメージで描かれました。


萩尾望都が知っているかどうか分かりませんが、錬金術では「薔薇」は「聖処女」の象徴、「花園」は「子宮」の象徴です。


新シリーズの作品の一つに「秘密の花園」があります。
これは、「薔薇の花園」このとですから、錬金術的には「聖処女の子宮」を意味します。


作品「秘密の花園」では、これはアーサー・クエントン卿の庭の薔薇園であり、それを育てた母メリッサでもあります。
それが「秘密」であるのは、母が「排斥された者」であり、アーサーはそれを反映して「自己否定する者」だからです。
母は父に裏切られ、自殺してこの庭の墓に閉じ込められて眠り続けています。


そして、その母が好きだったのが、聖女のバルバラです。
聖バルバラは、塔に閉じ込められた聖女であり、戦う人です。
「秘密の花園」とは、閉じ込められた聖バルバラでもあるのです。


なんと、ここに、「バルバラ異界」の「バルバラ」が聖バルバラから来ていることが明かされました。
バルバラ島に閉じ込められた青羽は、聖バルバラだったのです。


この作品では、小部屋で眠り続けるアランも、クエントン卿の母メリッサと似た存在です。


そして、新シリーズの作品全体においては、後にトランクの中で炭となって眠るアランも、ポーの村の地下に閉じ込められて眠り続けるフォンティーンも同じです。

 


フォンティーンやポーの一族の「眠り続ける」というモチーフは、直近では「バルバラ異界」の青羽に似ています。


ですが、現在までの物語の展開では、フォンティーンらが青羽のように、肯定的な夢見を行うといった積極的な役割は果たしていません。


作品「秘密の花園」では、ブラザーがメリッサのために「天国の庭」を探すと言った記憶が、血を吸った時にエドガーに引き継がれます。
青羽が夢見ることに成功したのは、「天国の庭」でした。


フォンティーンやエドガーは、これを夢見て、それを実現することができるでしょうか。

 


<物語の展開>


ポーの一族が、大老ポーのルールに従って隠れ続けるということは、「排斥」の構造が存在し続け、ひいては「自己否定」し続けることを意味します。


これに反対する勢力が、バリーとエドガーです。
バリーとエドガーは、大老ポーとの関係で、何らかの前向きな決着をつけることが望まれます。


また、その決着は、同時に、二人がフォンティーンとアランを復活させることとつながっていることが望まれます。


そしてそれは、「生命」そのものである「純粋な肯定性」、「母性」を発見することを通してであることが望まれます。
「マージナル」のキラが、「残酷な神が支配する」のジェルミが、「バルバラ異界」の時夫がそうしたように。


また、それを通して、二人が、解放されることが望まれます。


そして、ポーの一族とルチオ一族という対照的な一族は、互いに助け合って、止揚されることが望まれます。


その時、ポーの一族は、人間や一族の誰かを犠牲にする必要がなくなり、人間から「排斥」されることもなくなる…
そんな「バルバラ異界」がエズラ一族の未来として描いたところまで、描かれることはあるでしょうか?


あるいは、「バルバラ異界」が最後に課題として残した、個と集合意識の相克までを描くことはあるでしょうか?


あるいは、「バルバラ異界」のハッピーエンドは青羽という犠牲を必要としましたが、誰も犠牲にならずにハッピーエンドを導けるでしょうか?