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萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

「スター・レッド」の続編か書かれたのか?
この疑問は、このブログを書こうと思った一番大きな理由でしたので、このことを導入にします。

 

 

 


萩尾望都の初期の代表作「トーマの心臓」は、「寄宿舎~悲しみの天使~」というフランス映画を見たことが一つのきっかけとして構想されました。
「寄宿舎~悲しみの天使~」は、恋愛をした一方の少年が自殺して、もう一方が後悔して終わる、バッドエンドの作品です。

 

萩尾望都は、コミックス「トーマ心臓1」(1980)のあとがきで、この映画が、残された者が後悔するだけで終わったことで、その後が気がかりで、腹立たしく思い、自殺から始まる物語を書こうと思ったと書いています。
自伝的な書「一度きりの大泉の話」では、「どうしたら自殺せずに済んだのか?」と考えて「トーマの心臓」を描いたと書いています。

 

「トーマ心臓」では、トーマの死をきっかけに、ユーリが自分自身を許し、解放しました。
これは、「スター・レッド」での最後で、セイの死をきっかけに、エルグが封じてきた自分自身を解放したことと似ています。
ですが、ユーリがこれによって学校を出て前に進んだのに対して、エルグは夢魔の巣食った惑星に閉じ込められたまま終わりました。

 

「トーマ心臓」では、オスカーらがトーマの話をエーリクに伝え、エーリクがトーマを継承してユーリを救いました。
ですが、「スター・レッド」では、サンシャインがセイの話をジュニア・セイに伝えたいと言うところまでで、セイを継承することなく終わります。

 

「スター・レッド」は、主人公のセイが死に、セイの故郷の火星の崩壊も始まったところで終わるのです。

 

「スター・レッド」を読んだ私は、そのバッドエンド、その後がどうなるのかが気がかりで、腹立たしく思いました。
萩尾望都は、この結論で満足したのでしょうか?

 


「ポーの一族」も、アランが死に、エドガーが「もう明日には行かない」と言って、バッドエンドで終わります。
ですが、この作品は、もともと少年バンパネラのはかなさと、充足の不可能性を描く作品なので、しょうがないと思いました。
ところが、40年を経て、続編が始まりました。
エドガーは死なず、アランも完全には死んでおらず、エドガーがその復活を画策します。

 

私は、いつか、「スター・レッド」の続編が書かれるのではないかと待ちました。
なぜ、萩尾望都は、セイの死から始まる続編を書かなかったのでしょう。

 

「スター・レッド」では、セイら火星人が、「存在すること自体が悪だ」と言われ、それでも「無には無の意味があるかもしれないから」と言って戦いました。
その相手は、大義を持つ巨大な存在です。

 

初期から萩尾望都は、社会が「異質な者」を「排斥」することをテーマとした作品をいくつも描いてきました。
「スター・レッド」は、それを徹底的に突き詰めるに至り、極めて厳しい設定で描かれた物語です。

 

「スター・レッド」は、結末を決めずに見切り発車で描き始めた作品だそうです。
おそらく、この厳しい設定から逃げずに、ハッピーエンドを作ることができなかったのでしょう。

 

それならば、「スター・レッド」以降の作品は、その可能性を探求する物語となったのではないでしょうか。
つまり、別の作品として、「スター・レッド」の続編が書かれたのではないでしょうか。

 


「スター・レッド」は、その直前に連載した光瀬龍原作の「百億の昼と千億の夜(以下「百億」と略記)」の影響を受けた作品だと思います。
というか、「スター・レッド」は、その萩尾版だと思います。

 

「百億」も厳しい設定で描かれた作品で、無力感が漂うバッドエンドで終わります。
光瀬龍は「百億」の続編を書きたいと語っていましたが、書かずに亡くなりました。

 

ですが、遺作の「異本西遊記」は、「百億」の続編と解釈できる作品なのです。
この物語には、設定は違っても、阿修羅王や弥勒、輪天王、オリハルコンなどが出てきて、「百億」とのつながりを示しています。
また、他の諸作品とのつながりを示す、総決算的な作品でもありました。

 


萩尾望都も、同じことを行った(行っている)のではないかと思います。

 

例えば、「トーマの心臓」は、一応、ハッピーエンドで終わっています。
それにもかかわらず、「海のアリア」というSF版「トーマの心臓」が書かれ、「残酷な神が支配する」という大人版「トーマの心臓」が書かれました。
それは、どうしてなのでしょう?

 

例えば、ユーリはトーマのことを「恋神(アモーレ=エロス)」と呼びました。
「残酷な神が支配する」では、改めて、このエロスの謎を解かれました。

 

例えば、「ポーの一族」の代表作とされる「小鳥の巣」では、ロビンの墜落死が半ば謎として残されていました。
「残酷な神が支配する」では、改めて主人公が墜落死寸前に至るシーンが描かれ、この謎も解かれました。

 


「スター・レッド」についても、同様です。

 

「マージナル」のイワン博士は、火星のクリュセ大学出身です。
「バルバラ異界」の青羽は、火星の生命の海の一体性の復活を目指します。
これらは、「スター・レッド」とのつながりを明確に示しています。

「マージナル」や「バルバラ異界」は、「スター・レッド」の新ヴァージョンでしょうか。

 

実際には、諸作品にもっと複雑な継承の関係を読み取れます。

 

「バルバラ異界」のエズラ一族は、「火星」の生命の記憶を持つので、新たな「火星人」です。
同時に、、「不死性」を持ち、「血」を必要とするので、新たな「ポーの一族」でもあります。
さらには、エズラ一族は、自分の「心臓」を子に与えるので、新たなトーマでもあります。

 

「ポーの一族」旧シリーズの最後は、エドガーがアランの死をすぐに受け入れて、美しく(滅びの美)終わりました。
ですが、「バルバラ異界」の最後では、時夫が息子の死を、まるで駄々っ子のように絶対に認めませんでした。
この時夫がいたからこそ、アランの死をあきめない新たなエドガーが生まれ、「ポーの一族」新シリーズが再開されたのではないでしょうか。

 

萩尾作品は、息子を捨てたり、虐待するたくさんの父を描いてきました。
ですが、時夫には、過去にない父の姿があります。

 

青羽は、母が自分の命を引き代えに、火星の生命の復活という期待を託した存在です。

ならば、青羽は、新たなジュニア・セイでしょう。

 

時夫が駄々をこねたことで、青羽は、火星の戦争をなくして「スター・レッド」の悲劇を回避し、バルバラ島の差別をなくして「ポーの一族」の悲劇を回避することができました。

 

その青羽は眠り続け、バルバラ島の住人は閉じ込められて血を取られていました。
それらの姿は、再開した「ポーの一族」で、眠り続けてエネルギーを取られるフォンティーンと似ています。


「バルバラ異界」が「ポーの一族」新シリーズを再開させたのではないでしょうか?
そして、萩尾望都は、それをどのような結末に導くのでしょうか?
これがこのブログの出口になるでしょう。