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萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

「スター・レッド」(1978-9)は、「百億の昼と千億の夜」に続いて描かれたSF長編作品です。


この作品は、基本的には、「排斥する者」と「排斥される者」の戦いの物語です。
「排斥」しようとする強大な敵に対して絶望的な戦いをする少女、という点では、「百億の昼と千億の夜」のテーマを継承しています。
ですが、いくつかの点で設定、モチーフに違いがあり、萩尾望都の問題意識を反映したものに変更されていて、「百億の昼と千億の夜」の萩尾版となっています。


ですが、「スター・レッド」には、「解放する者」の愛による「自己否定する者」の「解放の物語」も含まれます。
この点では「トーマの心臓」のSFヴァージョンになっています。


「スター・レッド」は、萩尾望都の「排斥」に関わる問題意識を、厳しい設定の中で明確に表現するに至った作品であり、その点で、彼女にとって折り返し点になる作品だと思います。
ですから、この後の多くの作品は、「スター・レッド」が示した課題の解決を背負うことになりました。





<排斥される者>


主人公のセイ・トゥパールは、火星生まれの超能力を持つ人間ですが、義父に育てられて地球で生まれを隠して住んでいました。


火星には特別な地下の場所があって、そこで生まれた人間は超能力を持つ、赤い目、白い髪の火星人になっていきます。
地球人は、この特別な場所を含むドームであるクリュセから火星人を追放しますが、火星人は奪回を狙っています。

 

「超能力」は、「精霊シリーズ」や「あそび玉」以来の、モチーフで、「排斥される者」の特徴です。

セイと火星人の「赤い目」は、もちろん、火星の象徴です。
そして、秘めたるもの、「排斥」される本来性、過剰なる感情の象徴です。
また、火星は、「排斥」されているがゆえに、表面上は不毛な存在です。
 

セイは、故郷の火星を強く望郷し、火星人に行って火星人を見つけます。
ですが、セイが火星人に不幸をもたらすという予言がなされたために、火星人はセイを殺そうとします。


つまり、セイは人間と火星人の両方から「排斥された者」となります。
この「二重の排斥」のモチーフは、「ポーの一族」のエドガー、アランと同じです。


また、「排斥」される「超能力者」というモチーフは、「あそび玉」から継承しています。


ですが、シラサギという火星人が一人、不幸を避ける可能性を予言します。
一方、火星人達は黒羽を暗殺者として差し向けます。


つまり、「白い翼」を持つ者(シラサギ)は、「肯定的な夢」を見て、セイと火星人の未来を信じ、「排斥しない者」となります。
一方、「黒い翼」を持つ者(黒羽)は、「否定的な夢」を見る「排斥する者」の側の火星人です。


「翼」のモチーフは「トーマの心臓」などから継承するものであり、この後も「モザイク・ラセン」、「バルバラ異界」などにも継承されます。
「バルバラ異界」では、火星の生命の復活を目指す「青羽」が登場し、亡くなる時に「シラサギ」が美しかったと語ります。


「肯定的な夢(楽観、信じること)/比定的な夢(悲観、信じないこと)」のモチーフは、「マージナル」、「海のアリア」、「バルバラ異界」などに継承されます。

 


<排斥する者>


人間の「排斥する者」は、火星人研究局のペーブマンに代表されます。


彼は、他人からは目を見れないグラスをつけていますが、彼のキャラクターは、「マージナル」で同じ特徴の管理者(排斥する者)であるメイヤードに継承されます。


そして、より強力な「排斥する者」として、太陽系を越えた規模で宇宙を管理する異星人が登場します。
彼らは、超能力種の能力を封じて管理し、超能力種を生む惑星を破壊します。
この異星人の組織は「委員会」と呼ばれます。


この宇宙的組織は、名称も含めて「百億の昼と千億の夜」の「惑星開発委員会」から継承したモチーフです。


ペーブマンや異星人の委員会は超能力を否定し嫌悪しますが、それと反対に、地球の「ESP研究所」は超能力の平和的開発を目指しています。


その公認エスパーのアン・ジュは、ベーブマンの否定の論理によって、自分の信念を揺るがされ、その不安がセイに共鳴し、研究所が破壊されました。
ここにも、「肯定(楽観)/否定(悲観)」のテーマがあります。


アン・ジュは幼い頃に超能力で火事を起こしていまい、その後に超能力のコントロールを身につけますが、このモチーフは「一角獣種シリーズ」のモリに継承されます。
また、公認エスパーというモチーフは「マージナル」のセンザイ師に継承されます。

 


<解放の物語>


「委員会」の異星人とは別の異星人のエルグは、セイの協力者となります。
彼は「超能力者」であるだけではなく、「不死」の存在です。


この普通の人間とは異なる時間を持つというモチーフは、「精霊シリーズ」、「ポーの一族」から継承したものです。


エルグは母星を破壊され、自分の超能力を封じていました。

 

エルグが持つ「角」は、彼の能力の封印を示します。
封印の象徴という点では、ユーリの虐待の「傷」を継承するモチーフです。
封印する「角」というモチーフは、「一角獣種シリーズ」に継承されます。

 

ですが、エルグは、火星への強い望郷の念を抱き、超能力を含む「本来的な自分」を肯定するセイを愛し、愛されることで、最終的に超能力の封印を解きます。


つまり、エルグとセイの関係は、「トーマの心臓」のユーリとトーマ、エーリクのような「自己否定する者」と、それを「解放する者」の関係です。

 

一方、セイは、地球で自分が火星人であることを隠して生きてきたので、この時、彼女も「自己否定する者」だったと言えます。
ですが、エルグはセイが火星人であることを見抜き、セイはエルグと出会ったことをきっかけにして、火星人に行き、火星人として生きることになりました。
ですから、セイもエルグによって「解放」されたという側面があります。

 

また、本人が言うように、エルグにとってセイは、破壊された故郷の惑星の「代わり」です。
これは、「ポーの一族」のエドガーにとってアランが、守れなかったメリーベルの「代わり」であることと同じです。
つまり、失ったものの象徴、「代わり」なのです。


ですが、セイは、エルグが提案する火星の「代わり」としてのエルグで満足することを否定して、故郷の火星を諦めません。
つまり、「代わり」で満足しようとする「ポーの一族」の構図を否定します。

 


<否定性と肯定性>


「スター・レッド」では、超能力の否定的側面がはっきりと語られます。
制御できない攻撃性と、無意識のうちに他人の精神を操作してしまうことです。


もちろん、萩尾作品では、「排斥」される超能力は、「本来的な自分」が持つ、過剰な感情や共感力などの象徴として解釈できます。


そして、「スター・レッド」では、超能力の根源的な原因を、宇宙の外から来た超次元の精神生命体「アミ」とします。
「アミ」が惑星に巣食うと、超能力種が生まれます。


ですが、「アミ」は憎しみ合い、殺し合い、食い合う精神のエネルギーである「夢魔」を生み出します。
つまり、否定的で破壊的な感情であり、「夢魔」に取り憑かれて超能力種は自滅します。
ですから、異星人の「委員会」は、その惑星を破壊するのです。


外の世界からやってくる否定的な夢としての「夢魔」のモチーフは、「モザイク・ラセン」の「悪夢」に継承されます。
また、超能力の否定的側面による自滅のモチーフは、「マージナル」に継承されます。


「百億の昼と千億の夜」が「排斥する者」を宇宙外の存在、「排斥される者」を宇宙内の存在としたのに対して、「スター・レッド」はこの図式を逆にしています。
これは、「スター・レッド」が超能力の否定性も描いていることと関係するのでしょう。


このため、セイの戦いは、阿修羅王の戦いより、複雑な様相を呈することになります。

 


異星人は、セイら火星人、超能力者に対して、「存在すること自体が悪」、「忌むべきもの」と言います。

それに対してセイは、「無には無の、死には死の意味があるかもしれないから」と言って戦います。


萩尾作品に一貫して流れる「存在への問い」のテーマです。
ですが、これまで以上にこの言葉に重みがあるのは、超能力(感情)の否定的側面をはっきりと語っているからでしょう。


これに対して、セイは解決法も語ります。


「精神をなんとか壊滅の方向に進ませなければいいんだわ」
「古代の人が夢魔を宇宙の外から呼び寄せたのなら、ね、もう一度 追い払えない?」


超能力自体を否定するのではなく、破壊的になる「夢魔」、つまり、「否定的な感情」、「否定的な夢」を否定するということです。


当たり前と言えば当たり前ですが、これを明言します。
つまり、敵は、「排斥する者」と「排斥される者」の中の「否定性」になります。


一方、黒羽は、異星人から否定され、
「昔から火星は魔の星だった! 今さら救われようとは思わん! とことん魔になってやろうじゃないか!」
と、開き直ります。
「排除された者」がそれを内面化して、「自己否定する者」になったわけで、これは、セイからすればトラップに落ちたようなものです。

 


セイとエルグは、「夢魔」という「否定的な夢」を追い払うことを試すために、「夢魔」が巣食う古代の惑星に行きます。


ですが、セイは、その惑星の、あるいは、それに影響を受けた自分の中の「否定的な夢」に捕まったことがきっかけで、肉体を失い(死に)ます。
つまり、「否定性」を否定することに失敗したのです。


セイを失ったエルグは悲観して、自分の超能力の封印を解いて「狂う」こと、おおらく、個としての存在を捨てることにします。
そして、セイへの愛を惑星に刻んで、この惑星と一体化します。
これによって、死んだ惑星は、生き返り、未来において花を咲かせます。
エルグは「否定的な夢」の惑星を、「肯定的な夢」の惑星に変えたのです。


ですが、エルグは惑星に封じ込められたままです。

 


<「トーマの心臓」と「スター・レッド」>


愛する者(セイ)の「死」をきっかけに、「自己否定する者」(エルグ)が「解放」されるというモチーフは、「トーマの心臓」を継承しています。


ですが、エルグ自身は惑星に閉じ込められたままで終わり、ギムナジウムから巣立つユーリとは対照的です。


「トーマの心臓」では、トーマの死後にトーマに生き写しのエーリクが登場し、エーリクはオスカーらにトーマの話を聞き、トーマの意志を継承することになりました。


「スター・レッド」では、セイが死して復活したジュニア・セイが継承者です。
ですが、サンシャインがジュニア・セイにセイの話をしたいと語るところで、物語が終わりました。


「トーマの心臓」は、萩尾望都が見た映画「寄宿舎~悲しみの天使~」の「死」で終わるバッドエンドに満足できず、「死」から始まる物語として構想されました。


「スター・レッド」では、エルグが「死」の惑星を「復活」させたこと、そして、セイの「死」がジュニア・セイとしての「復活」したことが、バッドエンドの中の希望として描かれました。
ですが、「スター・レッド」は、「死」から始まるジュニア・セイの物語は描かれませんでした。


萩尾望都が「スター・レッド」のラストに満足したとは思えません。
それならば、その課題は、後の萩尾作品に継承されたハズです。


例えば、「海のアリア」は、アリアドという「自己否定する者」の心を開こうとしたダリダンの「死」から始まる物語です。
そして、その継承者アベルが「解放する者」となる構図を持っています。
この点では、「海のアリア」は、よりSF版「トーマの心臓」に近く、「スター・レッド」の新ヴァージョン候補となるでしょう。

 


<「ポーの一族」と「スター・レッド」>


「スター・レッド」で、エルグがセイという愛する者を失った点では、「ポーの一族」旧シリーズのラストで、エドガーがアランを失ったことと同じです。


エドガーは「もう明日には行かない」、「昔、昔の幸せ、帰ろう、帰ろう」と言って、「滅びの道」を選びました。


エルグは、封じていた能力を解放し、セイへの愛を夢魔の惑星に刻んでそれと一体化しました。
これは、惑星をセイ=故郷の惑星と同一視して、そこに帰ることです。
それは、エドガーが、幸せだった頃の故郷に帰ろうとしたことと似ていなす。


ですが、エドガーに比較すると、エルグは惑星を復活させた点で、希望があります。


実は、セイが、物語の途中で、火星とともに滅びようとしました。
これは、エドガーと同じ「滅びの美学」です。
この時、エルグは、自分が「不死」であるため、滅びることができないとセイに語りました。


エドガーは「不老」ですが、「不死」ではありません。
エルグの設定は、「滅び」を許されないのです。


これは、「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王が、絶望的な戦いとしての「生」の無限の継続を余儀なくされたことを継承しています。
この厳しい設定が、わずかな「希望」を残したのです。


この「希望」は、「スター・レッド」が、超能力(異質なもの)の否定性と、その解決方向をセイに語らせて、それを描いたことに結びついています。


この「希望」をどう展開するかという課題は、後の萩尾作品に継承されたはずです。


火星を守るというセイの夢は、ジュニア・セイに託して物語を終えました。
例えば、「マージナル」は、火星から来たイワン博士が、希望を託した子供のキラの物語です。
「バルバラ異界」は、茶菜が火星の生命の海の復活の夢を、子の青羽に託したことで物語は始まります。


また、エルグは不死ゆえに死ぬことができず、夢魔が巣食う死の惑星を復活させました。
これは、例えば、「ポーの一族」のエドガーがラストで「滅びの道」を選んだにも関わらず、再開された新シリーズでは、エドガーが死ねずに復活し、アランをも復活させようとすることに継承されたのかもしれません。

 


<母性的なもの>


「スター・レッド」で解決できなかった課題のための重要なヒントは、「スター・レッド」の中のモチーフとして現れています。


セイが、心の中には肯定的な部分があると言った時、エルグは、
「愛し、許し、与えるのは女だけだよ。子どもをおなかにもつ母親だけが純粋にそうだ」
と語りました。


その言葉を受けたように、シラサギの弟が、自分の体を女性にしました。
そして、肉体を失ったセイの魂を身ごもり、母となり、ジュニア・セイを復活させます。


「スター・レッド」でわずかにモチーフとなったこの「純粋な肯定性」としての「母性的なもの」、その象徴としての「子宮」は、「海」や「心臓」、「生命律動」のモチーフと結びつきながら、「マージナル」、「海のアリア」、「残酷な神が支配する」、「バルバラ異界」などに継承されます。