アルコール依存症については知っている方は多々いるかと思いますが、

今回、私はアルコール依存症の特徴を私なりに書き綴りたいと思います。

(下記の特徴はアルコールを他の依存症に置き換えれば他の依存症にも重なる部分があるので、他の人にも参考にされたらと思います)

 

 

(アルコール)依存症と自身(1)

(アルコール)依存症と自身(2)

(アルコール)依存症と自身(12)

(アルコール)依存症と自身(13)

 

 

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自分の棚卸しをし続け、誤りを犯したときは、すぐにそれを正していくことが提案されている。

それは生涯続けていくべきことだ。

 

わがまま不正直恨み恐れをチェックしていく。

 

人を傷つけてしまったときはすぐに誰か別の人と話し合って、素早く埋め合わせをする。

 

私たちは何ものとも、誰とも、ましてアディクション(アルコール)とも戦うことを止めた。

なぜなら、ここまで来れば健康な判断力が戻っているからである。

 

アルコールにはめったなことでは関心を起こさなくなる。誘惑に感じても、私たちはまるで熱い炎から後ずさりするように、身を引く。

この新しい態度は私たちが特に考えも努力もしなかったのに与えられたものであることが分かるだろう。

アディクションを行うことも避けることもなく、あるがままに生きた結果こそが奇跡なのだ。

 

懸命に戦っているものでも、誘惑を避けるのでもない。中立状態に置かれたようである。

 

これはアルコホーリクス・アノニマスたちの体験である。

 

 

自分の力で良くなったと思うのは簡単だ。だが、それは問題が起こる方へ一直線へ向かっている。

私たちのアルコホリズム(依存症は治ったのではない

中立状態に置かれているだけなのだ。

 

実際の経験によれば、再飲酒を防ぐ保障になる行動はない。

ただ、ほかのことがうまくいかなくても、これには効果がある。

それが同士の手助けである。

同じアルコホーリクが誰の手助けが出来ないときに、あなたは助けになれる。他の誰もがうまくいかないとき、あなたは彼らの信頼を得られる。それは人生に新たな意味を持ち始める。

 

自分が回復するために、同士が回復するために、あまりに焦り過ぎると、ことを荒立てるだけになる。

 

最初の一杯にまつわる奇妙な心の動きがどれほど普段の意志の力の働きを妨げてしまうか。

 

あなたが彼にそうやってこの話を伝えていくことが、実はあなた自身の回復にとってたいへん重要であることを、彼に知ってもらう、そのことが大切なのだ。

 

アルコホリズムのことでは彼は気を悪くしたかもしれないが、それは全部良いことにつながる。

彼は絶望的であればあるほど見込みがある。そのほうが、あなたの提案を聞き入れやすくなる。

 

彼を手助けするにあたり、彼があなたの親切につけこんで金銭や縁故や、住むところをせびろうとしているのではないことがまず確認されなくてはならない。

さもないと、あなたのすることはまったく彼のためにならない。それは彼が不誠実であることをゆるすことであり、回復のではなく、破滅の手助けをしていることになってしまう。

 

彼は私たちを頼るようになる。あれやこれやと要求し、認めてもらえないになら、飲むのを抑えることは出来ないと言い張るだろう。

 

馬鹿な話だ。

 

仕事があるかどうか、妻がいるかどうかにかかわらず、誰かを頼みとしているうちは、私たちは決して飲むのをやめないということだ。

 

そこにいる正当な理由があるのなら、その場所を避けないことだ

 

それはアディクションを行うことも避けることもなく、あるがままに生きるというこで、自分にはそこに行く社会的な、商売上の、あるいは個人的な理由が十分になるか。それともその場の雰囲気から少しばかり代償としての楽しみをこっそりかすめ取ろうとしているのではないかと、あなたがこれらの質問に十分満足に答えられれば、何も心配することはない。

行くか行かないかはどちらでもでもよい。

しかし、行くときの動機は完全に純粋でなくてはならない

せっかくの機会だから何かいいことがあったら、などと考えてはならない。

 

 

いつの日か、この病気の深刻さについて、一般市民がもっと理解できるよう、アルコホーリクス・アノニマスが手助けできるようになればと思う。

私たちの態度が苦しみと敵意に満ちていたばらば、手助けも何もあったものではない。酒飲み(依存症)たちはそういうことを我慢しないからだ。

 

つまるところ、この問題は私たちが自分で自分にもたらしたものだ。

ボトルはほんの象徴にすぎなかった。

そうして、私たちは誰に対しても戦いをやめることにした。

そうしなくてはならないのだ。

 

 

 

(アルコホーリクス・アノニマスより一部参照・改変)

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自分が回復するために、同士の回復を手伝う必要がある。

必須でないにせよ、同士を見ていれば、何てダメな奴なんだと思い知らされることもあるだろう。

しかし、それが自分にも当てはまり、それを知ることで自分の回復の道が見えるだけでなく、彼の回復の手助けにもなる。

 

依存症は治らない。

 

これは依存症に深く関わっている人ならば共通の認識だろう。

 

なので、依存に治ったいう表現は使わず、「症状が出ていない状態=回復」と表現をする。

 

私は主治医に良くなったと言われるが、治ったとは言われないし、私も治ったなんて思えないでいる。

それは依存の恐ろしさを分かっているつもりでいるし、一生発症しない理由が何もないことがある。

 

私だって、一定条件下でアディクションを起こしたい衝動に駆られる。

でも、スリップ(アディクション)しても、後悔しか残らないのを知っているので、理性で無理やり抑えているに過ぎない。

条件が整って、理性がなくなればいとも簡単にスリップしてしまうだろう。

 

条件を揃えない為に、正当な理由がないのなら、その場所を避けるという単純な行動を繰り返しているに過ぎない。

 

依存症者は基本、不誠実である。

誠実の衣をかぶった不誠実者。

 

それを見分けるのは通常不可能である。

 

だからこそ、誠実に生きようと心掛けないと誠実に生きられない。

 

誠実に生きるのは不利益を被ることもある。

だからといって、不誠実になる理由にはならない。

 

こう(依存)なった原因が周囲のせいだったとしても、そう(依存)しているのは他ならぬ自分である以上、どうなってもある意味、自業自得で自分で良くなるしかないのです。

 

色んなことに不満があったり、畏怖があったりして戦うことを決めたのだろうが、それが依存に繋がっているのであれば、戦うことをやめるべきだと思う。

 

ほとんどの人が最初の一杯がどれだけ凶悪か分かっていると思う。

 

そして、それに抗えないことも。

 

ならば、最初からお手上げするのも手ではないのではないのでしょうか。

(※お手上げするは恐怖や不安、不満など。依存に関しては自分の手から手放すこと(無関心)だと思っている)

 

 

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