アルコール依存症については知っている方は多々いるかと思いますが、

今回、私はアルコール依存症の特徴を私なりに書き綴りたいと思います。

(下記の特徴はアルコールを他の依存症に置き換えれば他の依存症にも重なる部分があるので、他の人にも参考にされたらと思います)

 

 

(アルコール)依存症と自身(1)

(アルコール)依存症と自身(2)

(アルコール)依存症と自身(11)

(アルコール)依存症と自身(12)

 

 

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回復のステップとして、行動に移す必要がある。

 

それにはまず、自分の弱点を認める。

特に自分の欠点を人に話すのは大変なこと。

 

認めるだけでも自分がながらよくやったと思ってしまうが、実際に自分の物差しで自分を評価するのは十分ではない

 

私たち(依存症者)がこの大切なステップを避けて通れば、飲酒(依存)の問題は克服できないということである。

 

とかく問題の一部については自分の胸の中だけにしまっておこうとする。謙虚さが必要であるこの経験を避けようとするならば、ほとんど例外なく酔っ払う(スリップする)。

 

きちんと棚卸しをしたようだったが、いくつかの最もひどいことを棚上げしておいた。

それは利己主義も恐れも消えていたと思っていた。自分は謙虚になっていると思っていたこと。

それこそが、「自分の物差しで自分を評価している」ことに他ならない。

 

 

(アルコール)依存症者は二重生活を送っていると言える。

 

一つは世間には舞台用の顔を見せる。人にそう見られたいと望んでいる顔。

 

もう一つは評価を気にしつつも、心の奥では自分にはそれほどの値打ちが無いことを知っている。

 

 

酔っ払って(スリップして)いると二重生活はいっそう酷くなる。

 

酔いからさめたとき、ぎれぎれに覚えていることにぞっとさせられる。

 

その記憶は悪夢の一種で、誰かに見られていたかもしれないと思うと身震いが出てくる。

 

その記憶を深く押し込み、見えないように願う。

 

そして、そのため絶えず恐れと緊張感にさらされ、飲み続けることになる。

 

 

自分のことを妻や親に話す場合、彼らを傷つけたり、悲しませるようなことは決して話してはいけない。

他人を犠牲にして自分だけが安全な場所に身を置く権利はだれにもない。

そういう部分は理解があって、傷つける心配のない人に話す。

原則、自分には厳しく、他人には思慮深く、である。

 

自分の話をする人は秘密を守ることができ、私たちが何を目指しているか十分に理解し、好意的に受け止め、私たちの計画を変更しようとしない人でなくてはならない。

 

だからといって、相手をさがす難しさを実行を延ばす口実に利用してはならない。

 

 

「行動のない信仰は死」であることは私たちは知っている。

アルコール(依存)に打ち克つためなら何だってする。と心に決めた最初のころをぜひとも思い出してみよう。

(※行動=自分ではどうにも出来ないことを認め、誰でもない何かに身を任せる。私たちが傷つけた知人、友人たちへの清算)

 

私たちは過去の問題を解決するまでは、飲酒(アディクション、依存)の問題を乗り越えることはできないのだと、手短に相手に説明する。話は相手の欠点ではなく、自分の欠点だけに絞られる。

もし、私たちの態度が穏やかで、率直で、広い心に満たされていれば、必ず満足のいく結果が得られるだろう。(逆に満足な結果でない場合は態度が不遜であり、回りくどく、狭い心であったといえよう)

 

刑事事件として、警察に知られたら刑務所行きになるような人もいるだろう。

経済的に追い込まれていて、支払いが出来ない人もいるだろう。

 

他人を巻き添えにするような思い切った行動をとろうとするときには、実行する前に相手に納得してもらうようにする。

その上でその断固とした行動を取るべきことがはっきりしたときには、ひるんではいけない。

 

 

(アルコホーリクス・アノニマスより一部参照・改変)

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自分の物差しで自分を評価していては、相手に納得はしてもらえない。

 

行動に移したと自分の尺度で申しても、出来ていなければ、相手にしたらやっていないと同意であることがあるからだ。

 

欠点を話すのは容易ではない。

依存症者特有の二面性でよい顔を見せようとしているからだ。

良い面を見せるというのは弱みを見せないのと同じで、弱みと見えても実は実益があったりする。

こういった性質があると、欠点を話したと思っていた。と自分の物差しになる場合がある。

欠点である以上、そこら辺の人には話せない。

だからこそ、「自分の話をする人は秘密を守ることができ、私たちが何を目指しているか十分に理解し、好意的に受け止め、私たちの計画を変更しようとしない人でなくてはならない。」のだ。

 

そんな人は日本にはあまりいない。

 

私が知る限りでは、その道に精通している医師か同じアディクション等に苦しんでいる先輩同志くらい。

海外では牧師等の選択もあるが、一定の距離感がないものは、医師であれ牧師であれ他人であれ付け込まれる可能性があることは否定できない(話に聞くのは性的な関係になったなど)

 

物事が全て簡単に進むわけではないので、何となくではクリア出来ない。

 

アルコール(アディクション)に打ち克つために何でもすると意気込んでも、その難しさから尻込みするのも分かる。

順風満帆でいける人はいない。

でも、難しいからと逃げていても回復はしないので、立ち止まってもいいから、前を向いていて欲しい。

 

どうなりたいか。

 

その答えは自分にしかないが、不具合があるからアディクションを起こし、それに自分が困っている事実があるのだと思う。

 

次:(アルコール)依存症と自身(14)

 

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