アルコール依存症については知っている方は多々いるかと思いますが、

今回、私はアルコール依存症の特徴を私なりに書き綴りたいと思います。

(下記の特徴はアルコールを他の依存症に置き換えれば他の依存症にも重なる部分があるので、他の人にも参考にされたらと思います)

 

 

(アルコール)依存症と自身(1)

(アルコール)依存症と自身(2)

(アルコール)依存症と自身(3)

(アルコール)依存症と自身(4)

(アルコール)依存症と自身(5)

(アルコール)依存症と自身(6)

 

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(アルコール)依存症者は自身だけでなく、家族も他人も破滅に導いてしまう。

だからこそ、(アルコール)依存症者は永久にやめようという、とても強い願いがあった。

それにもかかわらずやめることができなかった。

 

これは普通の人からすると不可解な特徴である。

 

再発するときに現れる依存症者の考えは

飲む前はは大丈夫。今日平気なはずと考える。

これが依存の本質でもあるが、最初の1杯の実験を性懲りもなく繰り返してしまう。

 

家族が恋人が友達が何度もだめだと言っても聞かない。

 

やめたいと願っているのに。思っているのにだ。

 

また何年も禁酒していた別のある男性は

仕事で少しイライラしていて、お酒が頭に浮かんだ。

ただ、一度お酒で失敗しているので、ダメだと分かっていた。

だが、牛乳に1滴のウイスキーを垂らして飲めば害はないだろうと頭をよぎった。

そして、牛乳に牛乳に1滴のウイスキーを垂らして飲んでも大丈夫だったため、ウイスキーをもう1杯頼んでしまった。

そこからは、もう1杯、もう1杯と続き最後には病院へ。

 

(アルコール)依存症の知識としては知っていたが、飲まないための理由の全部は牛乳と混ぜればウイスキーを飲めるというばかげた考えの前にあっさりとわきへ押しやられたのだ。

 

人々はこれを簡単に「狂気」と呼ぶ

 

最初の1杯を飲むための、気違いじみた、ばかげた理由づけがどうしても離れずにいた。

健全な理由は、依存症を抑えることができなかった。

狂気の考えにやられてしまうのだ。

 

どうであろうと、酔っぱらうための言い訳は、それに続いて必ず起こったことに比べれば、いくら考えてもやはり飲む理由になるほどのものではないと認めないわけにはいかなかった。

 

実際にどんなひどい結末がやってくるかを、前もって深刻に考えることはできなかったのだ。

 

 

(アルコホーリクス・アノニマスより一部参照・改変)

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やらない(飲まない)言い訳をずっと持ち続けていても、やる(飲む)言い訳が頭をかすめたら、どんな悪いことが起こるかわかっていても、その深刻さまで考えることが出来ずにやってしまうのが依存なんだと思っています。

 

しかも、やる(飲む)理由がどんなに考えても他人からすればばかげた理由でしかなく、本人も事後に考えればおかしいと気付く内容なのに、その瞬間はやる理由として自身を納得させられるだけの、理由となっているから狂気としか言いようがない。

 

これは自分は依存症であると自覚しているからこそこの考えがよぎるのであり、自覚していない者は理由もつけずにやる(飲む)こともある。

 

しかし、事後にやってしまったと思うことがあれば、依存症かその予備軍と言って差し支えないと思う。

 

DVなどの暴力でも、振るってしまった後、相手にごめんと謝罪するのもやってしまったと思っているからであり、危険な症状だと言わざるを得ない。

 

もちろん、やってしまったと思わないのも人としてどうかと思うが、それは依存症とは別だと考えている。

 

そう考えると、何かしらの依存症を抱えている人は多いのではと思うところがあるのでした。

 

 

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次:(アルコール)依存症と自身(8)

 

 

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