マラソンの後、引きずった股関節と膝の痛み。
その不調が完全に癒えないまま激しい動きをしたことが原因だったのか、ここ数日何とも言えない身体の不調に悩まされていた。
あまりの状態に、近所にあるカイロプラクティックに駆け込むことに。
そこで、先生の指導のもと鏡を使って自分の身体の状態を確認したのだが、思った以上にとんでもない状態だった。歪みまくっているのを目の当たりにし、これではマズイと自覚させられる。
前に整体院の先生に言われた言葉を思い出す。
「普通は、身体をつくって鍛え上げてから大会に出場しようと思うものだ」
しかし、私は身体が完全に出来上がるまえに大会に出場した。
無知の成せる業とはこういうことを言うのかもしれない。
無謀この上ない私にこの方は、「死にたいのかな?と思った」と一言。
きつい言葉ではあるが、確かにそのとおりである。
それくらいフルマラソンは過酷なスポーツ、ということをこの言葉は示唆している。
フルマラソンを完走したあと、身体を故障したかにみえる方をたくさんみかけた。
私は筋肉痛と股関節痛だけで済んでいたのでぎこちないながらも何とか自力で動き回れたのだが、ひどい人になると車椅子やタンカで運ばれていく人達を見かけて、これがどれほど過酷な運動だったのか思い知らされた。
普通に考えても、42.195kmを走るということは大変な事だ。
だからこそ、マラソン選手は完走するために、とことん身体づくりをする。
練習とともに、走るために身体をつくりあげることに専念している。
今回のことで、私は自分の身体の癖を嫌というほど思い知らされた。
同時に、身体の癖を知る事とは、過去にさかのぼってひとつひとつ原因を探っていく作業でもあると思い知る。
しかし、ここまでくるのは簡単な事ではなかった。
身体の不調を敏感に感じ取れるようになったからこそ、気がつけた事だったのだ。
昔の私は、身体の深いところでという意味で、とても鈍感な身体をしていた。
心も「何ともないふり」をしていたのだが、身体にも「何ともないふり」をしていたのだ。
だが、心と身体は表裏一体。
心の歪みは身体に現れる。
もちろんだが、様々な症状に悩まされていた。
だから、表面的な眠れない・動機が激しい・肩が痛い・腰が痛い・首が痛い・手が震える等の不調を抱え、あちこちの治療院を渡り歩くことになる。
病院はもとより、各種マッサージ・鍼灸院・整体・カイロプラクティック・・・良いと聞けばどこでも飛んでいった。
しかし、そのどれも根本治療には程遠かった。
だから、いつも不調になる→治療する→不調になる→治療するという悪循環だった。
ツインソウルと本格的な関係性になる少し前、私はある整体の先生と知り合うことになる。
とても不思議な縁で知り合ったこの方は、整体術も独特のものがあった。この方の整体術の特徴は、心と身体の両面からみていくものだった。最初の施術で、どこに原因があるのか根本的なところをズバリと指摘されることになる。
いままで、どこの治療院にいってもそれを指摘されることはなかった。そこに関わる筋肉のコリや硬さ等は指摘されていたが、その内奥にある原因を言い当てた人は誰もいなかった。
しかも、これが「心」の問題でもあると聞かされ、ここで初めて自分の身体の不調が心の問題にもあることを知ることになる。
長年かけて絡まっていた私の心身の歪みを解く作業は、1回の施術で何とかなるものではなかった。車で片道3時間もかかる遠い整体院ではあったたが、この方が只者ではないと直感。なんとか月1のペースで定期的に通い、約一年かけて整体に整えてもらった。
「整体」にしてもらったからこそ、私の身体はとても敏感になれたのだ。
この整体を施してもらっている時がツインソウルとの関係性で一番辛かった時でもあった。ここを乗り切るため、私が私自身を取り戻すため用意されていた出逢いだったのではないかと、その縁の不思議さを今更ながらに実感している。
さて、身体を整体にしてもらったものの根本的な事は自分で何とかしなくてはならない。放っておけば、また歪みはでてくる。
だが、指摘された事は、根本であるが故になかなか踏み込めない領域だった。
敏感な身体になったからこそ、不調はすぐさまわかる。
不調を何とかしてもらおうと、その整体院に行くのだが指摘されることに何も変わりはなかった。
あるときこんな言葉を教えてもらうことになる。
100回叩くと壊れる壁があったとする。
でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、
90回まで来ていても途中であきらめてしまう。
これは、元テニスプレーヤーの松岡修造氏が言った名言なのだが、まんま私の事だった。やってもやっても直ぐに効果が現れないため諦めを感じていた私がそこにいたのだ。
整体院に頼って何とかしてもらうのではなくて、自分で何とかしなければならないと強く自覚することになる。
もちろん、自分で何とかしなければならないとわかってはいた。だからこそ、基礎となるウォーキングを常日頃からしていたし、その流れでマラソンも山登りもすることになる。
だが、肝心の身体がつくられていないところに、激しい運動をすればどうなるか一目瞭然。身体の故障を引き起こすのだ。
だからこそ、根本からの身体づくりが私には必要なのだ。
そのことを、強く意識させられた今回の出来事なのである。
自分の身体のためにも、やらなければならない。
これを見過ごせば、どうなるか・・・
すでに後にはひけないところまできている。
ここはひとつ、踏ん張りどころと思って頑張ってみようと思う。