「母からの手紙」が良かったとのことだったので、思い出したことをもう一つ書いてみようと思う。

「8.母からの手紙」で書いた通り、緊急入院してからすぐに大きな手術が必要だった。医者が言うには、今お腹に軽くボールが当たっただけでも生死に関わる大変な状態らしい。

入院後すぐに、母と一緒に、入院する病室のフロアの端にある小さな診察室に呼ばれ、手術の内容の説明と手術の日が告げられた。手術は入院してから3日後。信じられないような話が、急に進んでいく。

入院した日、母が帰った後は消灯になり、病室が真っ暗になった。張り詰めるほど静かで、看護師が歩く音なのか、たまに遠くで足音がコツコツと微かに聞こえる。ベッドの向こうで少し窓が開いているのか、カーテンが僅かに揺れている。これからどうなるんだろう。寂しい。真っ暗の病室でひとり白い天井を見ていると、急に涙が溢れて止まらなくなった。

手術の日。手術室に向かう時、母が両手で9歳の小さな手を握り「大丈夫やから。大丈夫やからな」と何度も繰り返す。痛いくらいギュッと握りしめるその手から、母の動揺と心配する気持ちが伝わってくる。勇気を振り絞って「じゃあ行ってくるな」と言って、精一杯の笑顔を作り、小さく手を振りながら手術室に入ったのを今でも覚えている。


手術は全身麻酔だから、ハッキリと意識が戻ったのは翌日の朝だったと思う。この後の話は、後で母から聞いた話だ。


昼過ぎに手術室に入り、予定では夕方病室に戻り、その時麻酔から意識が戻ることになっていた。しかし予定の時間を過ぎ、夜になっても目を覚まさない。父と母は、側にいることしかできず、ベッドの横で、酸素マスクをして静かに呼吸しながら、意識が戻らない息子を立ったままただただ見つめている。
面会時間の7時が過ぎ、8時に消灯になった。真っ暗の病室で、父と母がベッドの横で静かに立っている。決まりでは、手術した日の面会時間は7時までなので、看護師数人が父と母に帰って欲しいと何度も説明をする。父と母はそれを拒み、残りたいと伝える。
「このまま目を覚まさないかもしれない」そんな思いがよぎったという父と母。このまま少しずつ呼吸もしなくなるんじゃないか。極度の不安と焦りからか、次第に感情的になった父は「自分の息子がこんな時に帰れるかー!!」と大声で怒鳴る。夜の静かな病室に、父の声が響き渡る。困惑する看護師。父をなだめようとする母。その時、一人の若い看護師が父の前に立ち、静かに真っ直ぐ父を見ながら穏やかにこう言ったそうだ。
「この子のことは、私が、私が責任を持って見ます。だから今日はお帰りください」
全てを自分が背負うという、覚悟がある言葉だと思う。

父の声が届いたのか、その時静かに目を覚ました自分を見て、父と母はその20歳過ぎくらいの若い看護師と他の看護師に、迷惑をかけたことを謝り、その日は帰ったそうだ。

後に母から聞いたことだが、あの時、もしどうしても止められたら、後で何を言われても、もう一度父と戻って二人でベッドの下に隠れてでも、目が覚めるまで待つつもりだったという。でも父も母もその看護師の真っ直ぐな目に何も言えなくなった。まだ若いけれど、あの人は本当にいい看護師だと思うと話していた。

自分を守ろうとしてくれたその看護師さんの顔は、今はもうなんとなくしか思い出せない。でもいつでも、どんなつらい時でも、優しく真っ直ぐな目で自分を見守ってくれていたことは、ハッキリと覚えている。真っ直ぐな目、それはきっとその人の心を現しているような気がする。