『2001年1月26日、JR新大久保駅で、線路に転落した日本人を助けようと、カメラマンの関根史郎さんと韓国人の日本語学校生のイ スヒョン(李秀賢)さんがホームから飛び降り救助にあたったが、三人とも帰らぬ人となった。』
という事故がドキュメンタリー映画『かけはし』になったと聞いて、行ってきました。
渋谷アップリンクでの上映は今週末金曜日までで、1日1本のモーニングショー10:45~12:25しか上演されません。
その後、『◎2/11(土)~大阪「淀川文化創造館シアターセブン」劇場公開決定~!(3週間)』、『3月11日(土)~3月17日(日)【大分】別府ブルーバード劇場公開決定』が決まっているそうです。
そしてその後、【島根県・飯石】【大分県・日田】での特別完成披露試写会が確定しているそうです。
今年の新大久保映画祭でも上映してくれないかな?
上映時間は通常の他の映画の宣伝の後、第1章42分+第2章53分。
第一章は『「日韓のかけはし」になることが夢だったスヒョンさんの志を受け継いだご両親の活動を追うとともに、あの事故から16年を経た今、彼の精神が様々な形で引き継がれている様を描いていく。』
第二章は『新大久保での事故から16年。イ・スヒョンさんの志に思いを馳せて日韓関係をもう一度見つめ直そうという動きが若者たちの間から起こっている。第二部では、釜山から来日した22名の大学生が日本の若者や一般人と交流した1週間の旅に密着し、彼らの心の変化に迫っていく。』
詳しく書いてしまうとネタバレになってしまいますが、それでも全部書きたい気分。でも是非、興味のある方は実際に映画で観てください。
とってもステキなご両親に育てられたイ スヒョン(李秀賢)さん、最初は日本のある時期の歴史に興味があって、日本に来たって言ってたかな?
日本の公衆道徳などに興味を持ち、毎日家に帰るまでの道のりに落ちているゴミを拾い集めて自転車のかごがいっぱいになるくらいだったそうです。
そして「日韓の架け橋になりたい。」と思うようになり、日本語学校で勉強をしていた。
そんなある日に事故は起こってしまった。
韓流にハマらなかった私でも、このニュースはよく覚えていましたが、韓流にハマらなかったため、この事故が韓流ブームの前だったのか、後だったのかも記憶にはありませんでしたが、韓流ブームの2年前の出来事だったそうです。
「冬のソナタ」の恋敵役のパク・ヨンハさんも亡くなられてから、もうすでに7年近くが経っていますが、今も日本公式サイトは存在し、お母さまが来日したりしているらしいですけれども…。
イ スヒョン(李秀賢)さんのご両親も毎年命日には来日して、新大久保の狭い構内の、ホームへ上がる階段の踊り場にある記念碑で、献花をするそうで、今でも毎年日本全国から弔慰金が寄せられているとか…。
私も昨日も今日も新大久保には行っていますし、記念碑ができたニュースも知っていますし、毎回ではないけれども、記念碑が目に入ることも多いです。
イ スヒョン(李秀賢)さんのお父様は6歳までと言ったかな?日本に居たそうで、そのまたお父様(イ スヒョン(李秀賢)さんのおじいさま)は炭鉱での過酷な労働を強いられていたそうです。
そんな過去があるのに、イ スヒョン(李秀賢)さんのご両親は、「日韓の架け橋になりたい。」という息子さんの意思を継いで、弔慰金はアジアに集まる留学生のための奨学金にしてください。」と申し出たそうです。
韓国では親よりも子供が先に死ぬと親不孝なので?親は子供の葬儀などには出られないそうで、彼が在籍していた日本語学校が学校葬として盛大に執り行ってくれたそうです。
奨学金を受けた留学生達の中には、日本の高校だったかな?音楽教師をしている台湾人の男性とか、日本で医師を目指している女性や、日本のアニメやビデオゲームに憧れて集まって来た人達が多く、当時は中韓で95%を占めていたイ スヒョン(李秀賢)さんの母校は今では世界各国から集まってきているそうです。
第二章では、釜山から来日した22名の大学生が日本の若者や一般人と交流した1週間の旅に密着していましたが、特に中国では「国と国の関係と個人と個人の関係は切り離して考えるべきだ。」と考えている人が多いため「民間交流」は歓迎する人は日中韓を通じて結構居て、実際民間レベルの国際交流イベントを開催すると、こういった方達が集まってきますが、今回のこのイベントに参加した1人の男性は日本語がある程度できるのに「民間交流」に否定的でした。
彼としては日本人と楽しく交流しても、互いに過去のことに触れることを避けているのでは「民間交流」も無意味だという考え方のようでした。
そして今回彼は直接日本の大学生にそれをぶつけて、それで彼が何かを得ることができたかどうかは分かりません。
奈良県明日香村(明日香村は約40年前に、忠清南道(ちゅうせいなんどう)にある扶余(ぷよ)郡と姉妹都市提携を結んでいる)は飛鳥時代に朝鮮半島から多くの渡来人が訪れ、先進文化を伝えるなど、古くから韓国とのゆかりが深い地だそうで、そこの民間人の家にホームステイをし、いよいよ韓国に帰国する。というその日の朝、彼は浮かない顔で、パスポートを失くしたことを語っていました。
日本人側スタッフが動いてくれ、臨時のパスポートを発行してもらうことになりましたが、そんな何も手につかなくなりそうな、どんな言葉を掛けても上の空になりそうなそんな状況なのにも関わらず、彼は…。
日本の中高の歴史の教科書を買いに大阪の街で本屋さんを探し回っていました。
韓国では韓国語で書かれた日本の歴史書は読んだことはあったそうです。でも肝心の地名?人名?等が韓国読み?になっていたのか、簡単に書かれた日本語の歴史書を読んでみたいと思ったそうです。
無事思った通りの中高の日本史の教科書を買うことができ、帰途につきましたが、彼は以前にも「民間交流イベント」に参加したことがあり、今回が2度目だったそうです。
そして最後に彼は「来年また来る時までにこの日本語で書かれた日本史の教科書を読んでおきたいと思います。」と言っていました。
(3度目も来るつもりなんだ。)私はそう思いましたが、彼は「民間交流」の意義について納得が行くまで日本に来るのかもしれません。
ちなみに韓国の歴史の教科書では、日本のことを「ナチスドイツ」と同レベルの極悪非道のように書かれているそうです。
だから何かにつけて、「ドイツは充分に謝罪もしているし、充分な賠償金も支払っているのに、日本は謝罪はしても儀礼的で、賠償金も恩着せがましい。」というようなことを言っているのだと思います。
それは本当は受け入れる側の韓国の心の問題だと私は思いますが。
そして、正直私はここで何度も書いているように「日本側から何をしても韓国はお気に召さない」。
韓国の教科書に日本が世界一極悪非道だというようにデフォルメされて書かれている間は、日韓国交が良好になることはありえない。と私は諦めています。
ただ…。
報道の自由度ランキング
日本からしたら韓国の方が報道が偏り自由がなさそうに思えますが、世界的には韓国よりも日本の方が「報道の自由」がない。と思われているようです。この年のこのランキングだけではなく、他の同様のランキングでも必ず韓国が日本よりも上だからです。
日本は極力事実を報道しようとしますが、日本人の特性なのか、これは書かない方がいいのでは?というようなことはどこからか圧力が掛からなくても、報道関係自身が自粛してしまうせいではないか?その結果、欧米よりの報道になってしまうというようなことを父とも話しています。
イ スヒョン(李秀賢)さんのことは『私の記憶がなくなるまで(死ぬかアルツハイマーのように記憶が消えるかするまで)』忘れないと思います。彼の遺志が無駄にならないように、私のできる範囲で、民間交流に参加したいと思っています。
という事故がドキュメンタリー映画『かけはし』になったと聞いて、行ってきました。
渋谷アップリンクでの上映は今週末金曜日までで、1日1本のモーニングショー10:45~12:25しか上演されません。
その後、『◎2/11(土)~大阪「淀川文化創造館シアターセブン」劇場公開決定~!(3週間)』、『3月11日(土)~3月17日(日)【大分】別府ブルーバード劇場公開決定』が決まっているそうです。
そしてその後、【島根県・飯石】【大分県・日田】での特別完成披露試写会が確定しているそうです。
今年の新大久保映画祭でも上映してくれないかな?
上映時間は通常の他の映画の宣伝の後、第1章42分+第2章53分。
第一章は『「日韓のかけはし」になることが夢だったスヒョンさんの志を受け継いだご両親の活動を追うとともに、あの事故から16年を経た今、彼の精神が様々な形で引き継がれている様を描いていく。』
第二章は『新大久保での事故から16年。イ・スヒョンさんの志に思いを馳せて日韓関係をもう一度見つめ直そうという動きが若者たちの間から起こっている。第二部では、釜山から来日した22名の大学生が日本の若者や一般人と交流した1週間の旅に密着し、彼らの心の変化に迫っていく。』
詳しく書いてしまうとネタバレになってしまいますが、それでも全部書きたい気分。でも是非、興味のある方は実際に映画で観てください。
とってもステキなご両親に育てられたイ スヒョン(李秀賢)さん、最初は日本のある時期の歴史に興味があって、日本に来たって言ってたかな?
日本の公衆道徳などに興味を持ち、毎日家に帰るまでの道のりに落ちているゴミを拾い集めて自転車のかごがいっぱいになるくらいだったそうです。
そして「日韓の架け橋になりたい。」と思うようになり、日本語学校で勉強をしていた。
そんなある日に事故は起こってしまった。
韓流にハマらなかった私でも、このニュースはよく覚えていましたが、韓流にハマらなかったため、この事故が韓流ブームの前だったのか、後だったのかも記憶にはありませんでしたが、韓流ブームの2年前の出来事だったそうです。
「冬のソナタ」の恋敵役のパク・ヨンハさんも亡くなられてから、もうすでに7年近くが経っていますが、今も日本公式サイトは存在し、お母さまが来日したりしているらしいですけれども…。
イ スヒョン(李秀賢)さんのご両親も毎年命日には来日して、新大久保の狭い構内の、ホームへ上がる階段の踊り場にある記念碑で、献花をするそうで、今でも毎年日本全国から弔慰金が寄せられているとか…。
私も昨日も今日も新大久保には行っていますし、記念碑ができたニュースも知っていますし、毎回ではないけれども、記念碑が目に入ることも多いです。
イ スヒョン(李秀賢)さんのお父様は6歳までと言ったかな?日本に居たそうで、そのまたお父様(イ スヒョン(李秀賢)さんのおじいさま)は炭鉱での過酷な労働を強いられていたそうです。
そんな過去があるのに、イ スヒョン(李秀賢)さんのご両親は、「日韓の架け橋になりたい。」という息子さんの意思を継いで、弔慰金はアジアに集まる留学生のための奨学金にしてください。」と申し出たそうです。
韓国では親よりも子供が先に死ぬと親不孝なので?親は子供の葬儀などには出られないそうで、彼が在籍していた日本語学校が学校葬として盛大に執り行ってくれたそうです。
奨学金を受けた留学生達の中には、日本の高校だったかな?音楽教師をしている台湾人の男性とか、日本で医師を目指している女性や、日本のアニメやビデオゲームに憧れて集まって来た人達が多く、当時は中韓で95%を占めていたイ スヒョン(李秀賢)さんの母校は今では世界各国から集まってきているそうです。
第二章では、釜山から来日した22名の大学生が日本の若者や一般人と交流した1週間の旅に密着していましたが、特に中国では「国と国の関係と個人と個人の関係は切り離して考えるべきだ。」と考えている人が多いため「民間交流」は歓迎する人は日中韓を通じて結構居て、実際民間レベルの国際交流イベントを開催すると、こういった方達が集まってきますが、今回のこのイベントに参加した1人の男性は日本語がある程度できるのに「民間交流」に否定的でした。
彼としては日本人と楽しく交流しても、互いに過去のことに触れることを避けているのでは「民間交流」も無意味だという考え方のようでした。
そして今回彼は直接日本の大学生にそれをぶつけて、それで彼が何かを得ることができたかどうかは分かりません。
奈良県明日香村(明日香村は約40年前に、忠清南道(ちゅうせいなんどう)にある扶余(ぷよ)郡と姉妹都市提携を結んでいる)は飛鳥時代に朝鮮半島から多くの渡来人が訪れ、先進文化を伝えるなど、古くから韓国とのゆかりが深い地だそうで、そこの民間人の家にホームステイをし、いよいよ韓国に帰国する。というその日の朝、彼は浮かない顔で、パスポートを失くしたことを語っていました。
日本人側スタッフが動いてくれ、臨時のパスポートを発行してもらうことになりましたが、そんな何も手につかなくなりそうな、どんな言葉を掛けても上の空になりそうなそんな状況なのにも関わらず、彼は…。
日本の中高の歴史の教科書を買いに大阪の街で本屋さんを探し回っていました。
韓国では韓国語で書かれた日本の歴史書は読んだことはあったそうです。でも肝心の地名?人名?等が韓国読み?になっていたのか、簡単に書かれた日本語の歴史書を読んでみたいと思ったそうです。
無事思った通りの中高の日本史の教科書を買うことができ、帰途につきましたが、彼は以前にも「民間交流イベント」に参加したことがあり、今回が2度目だったそうです。
そして最後に彼は「来年また来る時までにこの日本語で書かれた日本史の教科書を読んでおきたいと思います。」と言っていました。
(3度目も来るつもりなんだ。)私はそう思いましたが、彼は「民間交流」の意義について納得が行くまで日本に来るのかもしれません。
ちなみに韓国の歴史の教科書では、日本のことを「ナチスドイツ」と同レベルの極悪非道のように書かれているそうです。
だから何かにつけて、「ドイツは充分に謝罪もしているし、充分な賠償金も支払っているのに、日本は謝罪はしても儀礼的で、賠償金も恩着せがましい。」というようなことを言っているのだと思います。
それは本当は受け入れる側の韓国の心の問題だと私は思いますが。
そして、正直私はここで何度も書いているように「日本側から何をしても韓国はお気に召さない」。
韓国の教科書に日本が世界一極悪非道だというようにデフォルメされて書かれている間は、日韓国交が良好になることはありえない。と私は諦めています。
ただ…。
報道の自由度ランキング
日本からしたら韓国の方が報道が偏り自由がなさそうに思えますが、世界的には韓国よりも日本の方が「報道の自由」がない。と思われているようです。この年のこのランキングだけではなく、他の同様のランキングでも必ず韓国が日本よりも上だからです。
日本は極力事実を報道しようとしますが、日本人の特性なのか、これは書かない方がいいのでは?というようなことはどこからか圧力が掛からなくても、報道関係自身が自粛してしまうせいではないか?その結果、欧米よりの報道になってしまうというようなことを父とも話しています。
イ スヒョン(李秀賢)さんのことは『私の記憶がなくなるまで(死ぬかアルツハイマーのように記憶が消えるかするまで)』忘れないと思います。彼の遺志が無駄にならないように、私のできる範囲で、民間交流に参加したいと思っています。