千葉県八街市で児童5人が死傷したという事故に胸が締め付けられる思いです。

 

ニュースはもちろん、会社でも今日は色んな声が聞こえてきました。

 

子供を持つ親として事故のことを考えるたびに動悸がするほど辛くなりますが、同時に世間の飲酒運転に対する厳しい意見は、自分の父親のことを責められているようで耐え難く、今日も会社で耳に入ってきた「飲酒運転するやつは死刑でいいっすよね」という若者の言葉に、居ても立ってもいられなくなりその場を離れました。

 

父はお酒が大好きで、私が物心ついた時から仕事終わりにお酒を飲んでバイクや車で帰宅していました。

昔は飲酒運転が黙認されていました。

 

当時から今まで、幸い人身事故は起こしたことはありませんが、自損事故は数えきれないほど起こしています。

そしてそんな父を家族や親戚中か何とかしようとしてきましたが、手を貸すことは本人の為にならないことを学び連絡を絶ちました。

人を傷つけず、自分の健康も大切に、周囲の(多分施設にいる)人たちを笑わせながら元気に過ごしてもらえたら、会えなくてもそれだけでじゅうぶんです。

 

 

父の飲酒エピソードは枚挙にいとまがありません。

 


小学生の時に学校から帰ると駐車場にフロントガラスがバリバリに無くなってルーフがつぶれている車が停まっていました。

 

え・・・お父さんの車に似てる。

昨日の夜、そういえば帰ってこなかった・・・。

 

家に帰ると体中傷だらけの父がやっぱりお酒を飲みながら座っていました。


「深夜にカーブで車ごとひっくり返っちゃって、つぶれた車内で身動きが取れなくなってとりあえずそのまま待ってたら、トラックが通りかかって優しい兄ちゃんに車を起こしもらった。エンジンかかったし帰ってこれたけど車は廃車だなー」と笑って言いました。

 


父は車が大好きです。

本田宗一郎氏のもとで車の整備士をしていた父は、そのことをずっと誇りに思っていたし、運転も本当に上手だったので、よその家のお父さんの運転する車には乗りたくないと思うほどでした。

 

車とお酒はセットにしてはいけないんだけど、父にとってはどちらもいつもそばに置いておきたい大切なものだったんだと思います。

 

 

お酒がセーブできないことが原因で父は2度の離婚をしました。

 

父が最初に離婚した時、私は兄と一緒に父親に引き取られたので、いつでもどこでもお父さんと一緒でお父さん大好きな子でした。

小学校4年生の時に再婚して家族が増えるのですが、父と母は酒が原因のケンカが絶えませんでした。

 

ある晩、いつまでも焼酎を飲んでいる父に怒った母が、焼酎のボトルを取り上げて残っている酒を全てシンクに流しました。

酒を飲んでもひたすら温厚だった父が、その時はじめて包丁を持ち出して母を怒鳴りつけました。

兄弟で慌てて止めに入ったのですが、その晩を最後に父は家に帰らなくなり

(母も玄関にチェーン掛けてたのでどのみち入れないのですが)離婚しました。

 

この2度目の離婚では、私は父のところへはいけないと考え、養母のもとに残りました。

一時は大家族になって、みんなを車に乗せてキャンプに毎週のように連れて行ってくれたのに、あっという間に一人になりお酒の量もますます増えたようです。

 


そこから父が仕事に行けなくなるまでは一瞬でした。

 

①飲む→酒が抜けない→仕事に行く→頭が回らないから思うように動けなくて「こんなはずじゃないのに」と酒の量が増える

②酒が抜けない→でも仕事に行く→またうまくいかなくて酒の量増える

③酒が抜けない→仕事に行ったり行かなかったり→酒の量増える

④ずっと酔っ払ってる→何とか朝を認識していて仕事に行こうとして失敗する→酒の量増える

 

この辺からもう昼夜わからなくなってるんじゃないかと思います。

 

⑤もはや常に飲んでるけど気付いたら仕事行く→どこかで倒れたり事故ったりしている

 

ここら辺でさすがに一旦お酒を控える事態(怪我したり車がつぶれてたり)になり、すっかり酒が抜けた時にものすごい自己嫌悪に陥るようです。

 

 

これまで父の大きな入院は、

・酒が原因で屋根から落ちて頭蓋骨陥没骨折

・その数年後にインフルエンザと肺炎にかかっていることに気付かず酒を飲み続け、とうとう仕事後に失禁までして死にかける

・さすがにこのままじゃお父さん死ぬよ、と説得して7年前に精神病院に入院

 

どれも人様を傷つけることはなく、どこまでも自分に降り注ぐ父です。

 


どこからがアルコール依存症の始まりなんでしょうか。

 

父が入院した精神病院の説明によると、

「仕事に行けなかったりお酒を飲んでいるのに車の運転をしたり、といった、社会生活が送れなくて、しかも自分ではそれをどうにかしたいと思っているのに体が言うことを聞かなくて周りを困らせてしまう状態」がアルコール依存症と定義されるのだそうです。

 

全ての依存症に共通しているのは、脳がコントロール不能な状態で、完治することはなく、症状を抑えるためには止め続けるしかなく、ほんのわずかでも依存物に手を出すとまた最悪の状態にあっという間に戻る、ということです。

 

止め続けるって難しい。

 

このままでは自分のせいで大切な人達を殺してしまうかもしれない。そんなことになるくらいなら自分が死にたい。でもまだ死にたくない。じゃあ止めるしかない。

っていうくらいの気持ちがないと、人間ってすぐ自分に負けてしまうと思います。

 

父も3ヶ月間の入院プログラムを終えて一週間もたたないうちに、親戚と一緒に酒を飲んでしまいました。

3ヶ月も頑張っても、一瞬で戻るんだな。と諦めたのがこの時でした。

 

もう好きに生きたらいいや。

酒のせいで人を傷付けて私はいつか殺人者の娘になるかもしれないけど、それはきっと私の宿業。

やれるだけのことはやってきたから、もういい。

そういう気持ちでした。

 


ここには書ききれないことが、まだまだいっぱいあります。

 


車+酒について思い出したことを一つ。

 

父は精神病院に入る前にうちで生活していたことがあったのですが、飲酒運転がひどくてどこかで人をはねているんじゃないかと心配で、銀行からも毎日のようにお金を下して酒を買いに行ってしまうので、父が寝ている隙に車の鍵とキャッシュカードを隠して仕事に行ったことがありました。

 

仕事から帰ると家中空き巣が入ったかのように荒れていて、

完全にキレた父が「鍵を返せ!金もキャッシュカードも返せ!」と私にカラーボックスを投げつけてきました。(繰り返しますが、父はとても温厚です。)

息子は当時保育園年長で、怯えて固まっていました。

 

二人で布団にくるまってドアを内側からベッドで抑えて、警察署に電話しました。

 

私「今、父が暴れてます。包丁があるので息子と二人で布団にもぐってます。」

警「絶対に今車の鍵は返さないで、そのまま落ち着くのを待っていてください。」

私「わかりました。でもお願いがあります。多分今後も飲酒運転すると思うので、〇〇(車種)の●●(ナンバー)がフラフラ走ってたら取り締まってください。いつか人をはねると思います。」

 

その後暴れ疲れて父はまた寝たのですが、翌日、父に頼み込んで精神病院を受診してもらったのでした。

 

 

とっても長くなりましたが、施設に入っているらしいと聞いている今でも、今回のような飲酒運転のニュースを見るたびに「父かもしれない」と緊張が走ります。

 

罰を与えることは反省の時間を強制的に作るには有効かもしれませんが、そんなことでは飲酒運転は無くならないと思います。

 

ここまで書いておきながら、飲酒運転をする人にはおそらく色んなタイプがあって、飲んでハイになって自分は大丈夫と思っている人や、ルール?何ソレおいしいの?って思っている人など、様々だと思います。

 

だからこそ、飲んだらエンジンかからない機能を必須にして全車両に実装してほしいです。

 

 

父のことでドタバタするようになってから全くお酒を飲まなくなりました。

私は父によく似ているので、容易に酒で人生を壊せそうな気がするのです。

私が父を見放したように、息子には見放されたくないと思うのです。

 

 

ちなみにちらほら耳にする「アダルト・チルドレン」は、大人になりきれない大人、のように解釈されることが多いですが、本来は親がアルコール依存症の家庭で育った人、という意味です。

もちろん今では色々な家庭があり、さまざまな機能不全家族が在ると思います。

 

父のことをきっかけに色んな本を読みましたが、私は典型的なアダルト・チルドレンの症状を持っていることがわかりました。

 

私が毎日感じている生きづらさを、息子には味わってほしくない。

のびのび育って、好きも嫌いもはっきりと言える人になってほしい。

人に迷惑をかけずに、もし迷惑かけてもきちんと関係修復できるような人になってほしい。



思えば、祖母もお酒が大好きでした。

祖父母も離婚をしていて、父も典型的なアダルト・チルドレンだったこともわかりました。

 

自分の代でこの負の連鎖を断ち切りたい。

夫とは死別してしまって家族に縁がない我が家だけど、息子には幸せになってもらいたい。

 

願いはつきません。

 

 

取り留めもなく書いてきましたが、お許しください。

 

興味のある方は、ぜひアルコール依存症についての記事や本を読んでみてください。