知り合いになんでもトントン拍子にうまく行く人がいます。
人よりもドタバタな人生を送ってきた自分には、どうしてもその人の恵まれた境遇が羨ましくて仕方なくて、素直に喜べない。
その人に人徳があるからだということも重々わかっているのに。
今まで一瞬一瞬を死にものぐるいで生きてきたのに、こんなにも家族にもお金にも恵まれない自分って、パワーを使う場所を間違えていたのかもしれない。
でも、どうすれば良かったんだろう。
気を抜いたつもりは一度も無かったんだけどな。
羨ましい気持ちがポロリと出てしまった時に「それだけ頑張ってきたもん」ってみんな言うんですよね。
私は、世間的には頑張って来なかった人間なのだろうか?
でも何となく答えはわかっていて、トントン拍子に行く人と、そうでない私の違いは、『自分のことばかりではなくて、人のことをどれだけ考えてきたか』なんだと思います。
例えそこにどんな理由であっても。
私は今まで自分が生きていくのに必死で、周りのことなんてほとんど考えてこなかったし、人の成功を自分のことのように嬉しく思うことなんて、ほとんどなかった。
こういうところがあるから、徳を積めないのでしょうね、きっと。
時折起こる大きな事件の犯人はたいてい生い立ちに負の思いを抱えていて、そんなものは言い訳にならないと世間は言うけれど、私はいつも、ヤケクソになってしまう犯人の気持ちがわかってしまって複雑な気持ちになります。
子供を虐待してしまう親の気持ちも、よーくわかる。
さすがにそんなことをしたら、本当に自分が欲しい幸せは手に入らないってことがわかるので、理性が働いて行動しないだけです。
何やっても八方塞がりな状況になったら、私だっていつでも理性なんて吹き飛ぶ自信がある。
やっぱり人格形成の最初のステップは、承認欲求が家庭で満たされることにあるのだと痛感しています。
愛情を受けて初めて愛情を知るのでしょうけど、それについては私は欠落しているのは確か。
ただし息子を除く。
息子の存在のおかげで、初めて愛し愛されることを知りました。
まだまだ発展途上です。
アダルトチルドレンってやつですね。
こんな私でもそばに居てくれる息子や友人を大切にしたいなぁと改めて思ったのでした。
でもやっぱり、兎にも角にも、トントン拍子な人は心底羨ましいけどねっ!