今回で夫の闘病記はおしまいです。

入院して3ヶ月の、短い闘病期間でした。

 

 

お別れの日

 

 

13日。

 

朝7時頃に病院に付くと、母親も早くから駆け付けてくれました。

息子を母親に預けてから病室でずっと夫に付き添いました。

 

ベッドの所々に小さく血が飛んでいました。

 

夫が目を覚ますのは数分で、ご飯を口に含んでも、もぐもぐしながら寝てしまうので、その度に声をかけて起こします。

 

ほとんど話すことはできなくなっていましたが、呼び掛ければうなづくことができて、手も動かすことができました。

 

朝から落ち着いていたので大丈夫かと思っていましたが、夕飯を食べた時に激しく咳き込み、大量の喀血をしました。

 

ちょうど息子と母親も病室に戻っている時で、義兄もお見舞いにきている時でした。

 

そこからはあっという間でした。

 

看護師さんは血を浴びながら、処置をしてくださいました。

 

辛そうな夫の姿を見ていられないけど、私が見ていてあげないといけない。

心臓が締め付けられる思いでしたが、横にいて声を掛け続けました。

 

苦しそうに力んで、ベッドの手すりをつかんでいた、夫の力が抜けたのがわかりました。

 

夜8時54分

夫は永眠しました。

 

この時のことを思い出すのは辛いです。

 

鮮明に思い出そうとすると、今でも動悸が激しくなって息が苦しくなります。

 

あの時のにおいや音やみんなの表情、きっと一生忘れられないです。

 

あの場にいたのはちょうど友人のお見舞いも終わって私と息子と母と義兄だけでした。

 

「俺が居てやれてよかった。俺だけでよかった。お袋や親父には見せられない。」

と義兄は言いました。

私も同じ気持ちでした。

 

後から駆け付けた義母は、息をしていない夫を見てベッド脇で腰を抜かしてしまいました。

 

夫は3人兄弟の真ん中でした。

一番手がかからずに勝手に育ってくれた。

お兄ちゃんは生まれた時に体が弱くて苦労して、弟は成人してから事故にあって社会に出られなくなって、

だからこの子は勝手に育ってくれたようなもので、本当に手がかからなかった。

と義母はいつも話していました。

 

優しくて手がかからなくて堅実な子。

その子が親より早く亡くなってしまった。

 

義母が腰を抜かしてしまうほどの気持ち。

全身の血が抜けていってしまう感覚。

今は当時よりもわかります。

私は息子を亡くす経験はしていないけど、年々想像できるようになっています。

 

親より先に死なないことは、最大の親孝行。

本当に今、心からそう思います。

 

 

葬儀は、自宅で家族葬を執り行いました。

大好きな家で、大好きな音楽をかけて。

 

友人が沢山来てくれて、家から長蛇の列ができていたことを後で聞きました。

まさかそんなに大勢になるとは思わなかったので、後からご近所さんにご挨拶に行っては話し込んで、それも今となっては貴重な時間でした。

 

夫の死後、良いことも悪いことも色々ありました。

ここには敢えて書きません。

いつか何かの時に記事にします。

 

年の差婚でしたが、あっという間に結婚生活が終わり、シングルマザーになってしまいました。

でもそこでメソメソしてられないのが私の性分なんです。

 

後から聞いた話ですが、夫は結婚当初、何で17歳も歳の離れた子を選んだのかと友人に聞かれた時に、「あいつは趣味も色々あって、いつも新しいことを楽しんでいて、俺がいなくても人生楽しんでいけそうだったから」と答えたそうです。

 

現実になっちゃったね。

 

だからやっぱり、人って運命の流れには逆らえないんですね。

 

晩婚でも、私みたいなのと一緒になって、子供がうまれて、自分の家も持てて、夫の人生に悔いはないでしょう。

 

あなたの人生、あとは私が引き継いだから、(色々荒らしちゃうとは思うけど)任せてね!

 

 

 

夫の闘病記はここまで。

お読みいただきありがとうございました。

 

今後はシングルマザーになってからの日々を綴っていきます。