夫の闘病記は、あっさり書き終わらせる予定です。

 

最近よくある、改行で勿体振らせたり、続きはCMのあと、みたいな構成は好きではありません。

 

仕事人間だからかな。

 

スピード大事!

要点絞って簡潔に!

相手の時間を奪わない!

 

今後もこのブログはあっさりバッサリいきます。

…余談でした。

 

 

本編です↓

 

 

意識が遠のいたり戻ったりの繰り返し

 

 

家に戻ってきてからも夫は、歩くのもおぼつかなかったけど、自分でなるべくやるからと、介助を拒みました。

 

でも、トイレに行けば10分たっても帰ってこない。

体を洗っていても突然シャワー音だけになる。

慌てて見にいくと、その場で眠ってしまうことが増えてきました。

 

浅い眠りなので、声をかければすぐに意識が戻って返事をします。

でも、またすぐに眠ってしまいます。

 

 

1223日、外来3回目。

この日は2回目の抗癌剤投与をする予定でした。

けれども、血液検査の結果、カルシウム値が異常に高いことがわかりました。

抗癌剤投与は中止になり、そのまま再入院になってしまいました。

 

今になってみれば、少し検索すればこれがどのような状態かはすぐにわかります。

高カルシウム血症、傾眠傾向、癌、予後…。

 

知識はなくても、見るからに夫の身体に良くないことが起こっていることは明らかでした。

 

個室に入ることになったけど、差額ベッド代がかかってももういい。

気兼ねなく面会に来られるなら。

そう思っていたのに、本人は朦朧としながらも、覚醒した瞬間に

「大部屋が空いたら移らせてください」と、きっちりお願いしていました。

自分にはお金を使わない人でした。

 

私は、大部屋が空くのを待てるくらい、入院生活が長くなる望みを持ちたかった。

でも正直に言うとこの時にはもう、人って寿命の『流れ』には逆らえないものなんだなぁ、と感じていたんです。

ひどい妻でしょうか。

最後まで奇跡が起こるのを待つ、なんて私には出来なかった。

それよりも一緒にいる時間を大切にしたかった。

 

 

再び入院したことを周囲に連絡すると、すぐにお見舞いラッシュが始まりました。

「良くなって退院したんじゃなかったのかよ!」と言われても、私は黙って心の中で「見たらわかるでしょ。」と答えていました。

 

 

2010年元旦。

看護婦さんから「お正月だし本人の好きな食べ物があったら持ってきてあげてください」と言われました。

 

もうほとんど寝ている状態で、起きたらほんの少し食べ物を口に含むだけ。

それでも、冷たいゼリーとアイスが食べたい。

リクエストをくれたことが嬉しくて、すぐに買いにいきました。

 

 

12日。

箱根駅伝を見ながら過ごしていました。

 

夫はほとんど寝ていたけど、家族写真を撮りたくて、息子と3人で写真を撮りました。

 

夜一度家に帰って息子を寝かしつけると、病院から電話がかかってきました。

 

「夕飯はとてもよく食べていましたが、咳き込んだ時に少し血が混じっていました。もしかしたら、このあと喀血がはじまると容態が急変するかもしれないので、枕元に電話を置いておいてください」

 

何かあったらすぐに駆けつけることを伝えて電話を切りました。

母親には明日朝できるだけ早く病院にきて、息子を見ていてほしいと連絡をしました。

 

 

続く