備忘録がてら書き始めた夫の闘病記ですが、
思っていた以上に多くの方に読んでいただき驚いています。
夫の闘病は数ヶ月の短い期間でした。
それに、10年前のことなので、今では医療現場も色々と変わっていると思います。
このブログを読んで何か情報を得たいと思っている方にとっては、心許無い記録かもしれません。
ここに書いていることは偽りない事実ですが、ただ我が家に起こっただけの事。
どうか皆様は、このブログの中身に惑わされませんように。
今の自分に合った「より良い」判断が常にできますように。
告知を受けてからすぐに、癌治療に強い病院を探しました。
とにかく時間が無い。
有名で、癌と言えばここ、と言える病院がいい。
珍しい癌でも、前向きな見解を示せる可能性のある病院がいい。
そんな基準で病院を探して2日後の夕方に予約が取れたのが、がん研有明病院でした。
主治医に伝えてすぐに紹介状を用意してもらいました。
本人は黄疸が強く出ていて、体の怠さと痒みで動けない状態でした。
それに当時(2009年10月)は、新型インフルエンザが日本国内でも大流行していました。
そんな中、本人を連れていくのは危険と判断して、義父と義兄と私の3人でセカンドオピニオンを受けに行きました。
がん研有明病院は、地元の総合病院しか知らない私にとっては超先進的な病院でした。
フロアも綺麗。バリアフリーに配慮されている。
院内の明るい雰囲気に、ちょっと気持ちが軽くなったのを覚えています。
30分間の外来の結果は主治医と同じ見解でした。
・すでに切除は不可能であり、緩和ケアの段階である
・少しでもこちらで良い治療ができるならベッドをこじ開けてでも受け入れたいが、病状は極めて悪く手の施しようがない
・本人の慣れた地で、家族の通いやすい病院で、穏やかに過ごすのがよいだろう
癌告知を受けた時よりも、絶望感が大きかった。
本当にどうしようもないんだな。
OQLの維持で、やっとなんだな。
一緒に話を聞いていた義父は、息子の病状をここまで突きつけられてどんな気持ちだったでしょう。
ついこの間まで毎日一緒に仕事をしていた我が子がこんな宣告を受けるなんて。
あの時の義父の辛そうな顔が忘れられません。
病院に戻って本人に結果を伝えました。
いつも腹が据わっていて、取り乱すようなことは一度もなかった夫ですが、この時ばかりは静かに
「そうか。・・・まったく、結婚してから俺は、何でもっと早く健康診断受けなかったんだろうなぁ。」
と漏らしていました。
家族が帰ってからの病室は寂しいだろうな。
どんな気持ちで毎晩過ごしていたのでしょうか。
きっと色々と後悔ばかりしていたんじゃないかと思います。
毎日病院に通って、夫と一緒に主治医の説明を受けていました。
その時に毎回感じていたことは、若いと癌の進行はこんなにも早いのかということ。
画像を見ると、素人の私でも日に日に癌が大きくなっていくのが見えました。
これまではあまり思い出さないようにしていましたが、
最近は、夫が当時どんな気持ちで毎日病院で過ごしていたのかを、想像してみようと思えるようになりました。
あまり深く想像すると、まだ心臓がギュッとしますが。
夫の気持ちもですが、子を思う親の気持ちについても年々わかるようになり、今になると義父・義母がどんな思いだったのかを考えると、とても辛いです。
続く