(私のfx観 その弐 のつづき)

 利鞘/損失の行方

 3/12の大敗の後、21:00頃、またまたやらかしてしまい13kを失う。とうとう保証金砦の一角が崩れてしまった。その時、スマホの通知欄に「まもなく米国•••の発表•••21:30予定」の文字が。。。ふんどし締め直して、ニューヨークリベンジじゃ。。。


 結果、リベンジとまではいかないが、一矢報いる。砦の修復と17kの膜で頑丈そうに見せかけることに成功。


 ニューヨーク戦は事前に考えた作戦通りに事は運ばなかったが、チャート用、発注用の2台のディスプレイを用意して1分足を使う、このことはとても重要なアイデアだった。


 ディスプレイについては、なんちゃってトレーダーのように2台用意する必要はなかった。チャート注文というツールがあるのだが、どうしてこういうものがあるのかわからず、使ったことがなかった。何気に見たら、1画面の中にチャートと発注ボタンがある。あっ、と気づいたのだった。


 これを使って取引したのだが、まさにニューヨーク戦用のツール。チャートのタイミングで売または買のボタンを押す。タイミング系ビデオゲームの感覚。考えている暇はない。上下どちらに向かっているかの流れをチャートで見る、流れに沿ってボタンを押す。利益が落ちて来たら、決済する。ひたすら、それを繰り返す。



↑のスクショはチャート注文なる画面だが、今朝のトーキョータイムのもので変動はゆったりしている。速報後のニューヨーク戦で流れを見るには5分足のチャートでは間に合わない。昨晩のニューヨーク戦は1時間程度で148-147間をほぼ一往復した。1分足チャート必須の世界。

 そして、昨日のニューヨーク戦で私のfx観が変わった。そんな大層なものでもないけど。。。というか、違う世界があることを知った。

 動きを読んで作戦を立ててbetする。自分の思惑通りにことが運ぶと嬉しい。思うように行かなくても原因を考えて作戦を練り直す、これがまた楽しい。相撲や野球の間合い、レースギャンブルの予想。勝負が決するまでの時間が長い。待っている時間のほうが長い。その待っている間にいろんなことを考えることができるのがミソ。子どもの頃はつまらんかったけど。。。この辺りがニューヨークのタイミングゲームは趣きが異なる。間合いがない、思惑を考えている暇がない。

 おぉ、エキサイティングシティ、ニューヨーク。行ったことないですけど。。。ドキドキ感がたまらん。参加中は我を忘れて没頭する。興奮状態が1時間近くつづく。これはオモロイ。非常にオモロイ。。。


 
 fxの利鞘と損失の行方。利鞘は、少ない額だが確かに自分の手に入った。他の金と一緒くたになって晩飯や家に溢れたガラクタなんかに変わった。利鞘の行方は、まあそんなところだろう。でも、利鞘はどこから来た? ちょっとよく分からない。ギャンブルだと参加者の人数と賭ける金額で全体のパイが決まる。それをゲームなどをして参加者同士がとりあうわけだ。ギャンブルの儲けは、基本的に損をした人からの金ということになる。しかし、fxの利鞘は、誰が払っているんだろう。損した人から出ているハズはない。胴元のfx会社が払っているんだろうか。fx会社の胴元は銀行、銀行の胴元は日銀。日銀の胴元は国民、つまり、元々はオレっていうこと??? んー、ようわからん。わからんことは、わからんでええんじゃ。どっかの武将の名言。らしい。。。

 問題は、損失の行方。損した金はどこに消えた? fx会社? 風が吹けば桶屋が儲かるように、それは世界市民? 結局、損を被ったのはやっぱりオレっていうこと???

 fx会社の利益構造を見たら何かわかるような。。。でも、面倒くさいし、どっちでもいいや。わからんことは、わからんでええんじゃ。。。

(私のfx観とか その四につづく)