ALSの竹田主子 医師 ~日本経済新聞記事~ 子育て中にALSを発症 人工呼吸器の装着、思いもせず コラム「向き合う」 東京メディカルラボ代表・医師、竹田主子さん① - 日本経済新聞突然のことだった。小学生と中学生の母親として、内科医として、家庭と仕事の両立に必死だった2012年のある日、足が突っ張り、うまく歩けなくなった。その後はあっという間に手に力が入らなくなり、家族にご飯を作れなくなった。料理が大好きだった私は泣いた。全身の筋肉が動かなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのは約1年後だった。覚悟はしていたけれど、「私、死…www.nikkei.com ALS気にせず「これが私」 視線入力のパソコンで活路 コラム「向き合う」 東京メディカルラボ代表・医師、竹田主子さん② - 日本経済新聞母親として、内科医として両立に忙しかった2012年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した私が自分の状況を受け入れるのには4年かかった。行政から24時間介護を受けられる認定を得て家族に迷惑をかけずに済むようになったこと。視線で入力できるパソコンを導入できたことが大きかった。パソコンのおかげで、仕事や交流関係が広がり、自分に対する価値観が変わった。「体は不自由…www.nikkei.com たけだ・きみこ 1996年に信州大学医学部を卒業。米国留学のほか、東京大学病院など市中病院で臨床医として勤務。2012年にALSを発症し、16年に人工呼吸器を装着後、18年に東京メディカルラボを設立し、医療相談や講演の活動を続けている。
子育て中にALSを発症 人工呼吸器の装着、思いもせず コラム「向き合う」 東京メディカルラボ代表・医師、竹田主子さん① - 日本経済新聞突然のことだった。小学生と中学生の母親として、内科医として、家庭と仕事の両立に必死だった2012年のある日、足が突っ張り、うまく歩けなくなった。その後はあっという間に手に力が入らなくなり、家族にご飯を作れなくなった。料理が大好きだった私は泣いた。全身の筋肉が動かなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのは約1年後だった。覚悟はしていたけれど、「私、死…www.nikkei.com
ALS気にせず「これが私」 視線入力のパソコンで活路 コラム「向き合う」 東京メディカルラボ代表・医師、竹田主子さん② - 日本経済新聞母親として、内科医として両立に忙しかった2012年にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した私が自分の状況を受け入れるのには4年かかった。行政から24時間介護を受けられる認定を得て家族に迷惑をかけずに済むようになったこと。視線で入力できるパソコンを導入できたことが大きかった。パソコンのおかげで、仕事や交流関係が広がり、自分に対する価値観が変わった。「体は不自由…www.nikkei.com