2大スター、R・デ・ニーロとR・ウィリアムズ共演。30年もの長い間重度の神経障害に苦しんだ男性が、ある医師の努力によって突如回復した、奇跡の実話を映画化した感動作。

 

1969年、ニューヨークのブロンクスにある神経症病院に赴任してきた青年医師セイヤーは、重度の症状を示す患者たちの脳が眠りのような状態にあると確信し、周囲の反対を押し切ってある新薬(ドーパミン)の投与を開始する。やがて30年間微動だにしなかった男性レナードが起き上がったのに続き、他の患者たちも目覚め始める。生きる喜びを満喫するレナードを見て安心するセイヤーだったが、やがて目覚めた患者たちに予想外の変化が起き……。

 

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以前から題名だけは知っていたが、「神経症状で長く苦しんでいた患者が新薬投与で突如回復」と言うキャッチコピーが胸に刺さり、この映画を観た。

恐らく大多数の神経難病患者やそのご家族は、そんなことが起きたら良いな、と一度ならず夢見たことがあるだろう。

 

何十年も寝たきりだったのだから当然筋力も衰え、関節や鍵の可動域も狭くなっているだろうに、突然寝たきりになる以前のように日常生活を送れるようになったり、クラブで踊り出したり、信じ難いことが起きるのだが、主人公セイヤーのモデルは原作者O・サックス自身なので、多少の誇張はあっても事実に基づいた映画なのだろう。

 

ーーーーここからネタバレーーーー

 

この映画の見所というか残酷なところはいくつかあるが、その一つは、目覚めた患者達とその家族達が眠りについた時の状態(年齢)のままであることを期待していること。

まさに浦島太郎状態で、自分の最後の記憶とかけ離れた容貌や社会の変化に愕然とする。

 

まあ、それは徐々に慣れていくしかないのだが、最も残酷なのは新薬の効果が3ヶ月ぐらいしか続かず、その後はどんな処置を施しても、元の意識もない文字通りの寝たきり状態に戻っていったことだ。

 

正常な状態になったはずの患者が、一人、二人と悪化して元の状態に戻っていくのを見るしかない無力感の中で、自分自身も時間の問題で例外なくそうなっていく恐怖を味わう他の患者の絶望感は如何ばかりだったか。

 

この3ヶ月間は、その患者達や家族達にとってどんな意味があったのだろうか?

 

つかの間でも良いから自分を取り戻せて良かったと思うのか、失意の果てに元の意識のない寝たきり状態に戻るぐらいならつかの間の夢など見ない方が良かったと思うのか、それぞれだとは思うが、何れにしても残酷な結末なのは間違いない。

 

これを「感動作」と言うのだろうか?

 

レナードは、薄れ行く意識の中で自分が悪化していく凄絶な状況をセイヤーにフィルムに残せという。

今後の研究のために。

その心意気は今の私と共通しているが、残念ながら病名もつかない患者の状態の変化は医師達の関心外のようだ。