考えたこと<その2>
<その1>から大分時間が経ってしまいました。
「人新生の資本論」と言う本があります。
「人新生(ひとしんせい)」とは、「人類が地球を破壊し尽くす時代」のことだそうです。
某テレビ番組で石破茂氏がこの本に影響を受けたと発言していました。
問題意識を持つために一読をお勧めします。
前半に書かれていることは、私が常日頃感じていること、即ち、「資本主義とは人間の欲望を最大化するシステムであり、それは弱いものや自然界からの搾取で成り立っており、資本主義が続く限り富は1極に集中し、格差や自然破壊は際限なく進む」と同じ事を分かり易く説明していて、後半はその解決方法を資本論以降のマルクス晩期の思想の中に見出そうとするものです。
資本主義を野放しにすると地球上に人類が住めなくなるまで「欲望」(本書内では「帝国的生活様式」と言う表現)は突っ走り、SDGs等のまやかしはそれを止めるどころか却って助長する、と言う趣旨の前半には強く同意するものの、「脱成長コミュニズム」がその解決策とする後半には同意できないのです。
何故なら、歴史上、思想や主義は欲望に勝てたことが無いからです。
一時的には勝った様に見えても、次の瞬間には(一部の人間の?)欲望に負けてしまうことの繰り返しです。
綺麗事を並べる宗教ですら、一部の人間の欲望に勝てないことはこれまでの歴史が証明しています。
技術の発達に従い生活環境は変われども、人類は「欲望を制御出来ない」という点に於いて全く進歩していないのです。
そして「欲望」は自らを満たすために資本主義というシステムを作り上げたのです。
経済成長は搾取したものを集約した尺度であり、搾取される側に経済成長など無いのは本書の指摘どおりです。
「裕福な10%が家計資産合計の70%を所有している」(Forbes)米国では深刻で、「上位10%の保有資産割合の増加は、富の配分における50~90パーセンタイルの資産を犠牲にして成り立っている」(Forbes)、「金持ちは一段と金持ちに、低所得者はさらに生活が困窮していく」(文春オンライン)状況が加速しています。
「一九八〇年代以降、上位〇・一%の所得は増え続けているのに、それより下位はほとんど増えていないという現実があります」(文春オンライン)
日本はまだマシと言う認識があるようですが、コロナでそうではないことが露呈しました。
1960年代から1980年代半ばまで、日本は搾取する側として「1億人総中流社会」を謳歌していましたが、搾取する対象が減ってきてしまって国民同士で共食いが始まっているのが、2000年代以降耳にすることが多くなった「格差社会」です。
私は、資本主義を変えられるのは急激な人口の減少しか無いと思っています。
人口の増加が自然を含めた搾取対象の裾野を広げてきた(将来価値の現在価値化という手法で未来からも搾取してきた)のですから、搾取対象を減らさないことには資本主義下の人間の欲望は抑えきれないと思うからです。
だから自然界が生殖行為のみによって感染が広がるエイズを送り込んだときには拍手喝采しました。
これでアフリカを中心とした発展途上国(被搾取者)及び(性的な?)欲望にまみれた人口が抑えられ、それが自然界の搾取の減少にもつながって、資本主義に胡座をかいている「欲望」に歯止めがかかると思ったからです。
ところが、人間という生物が自然界が送り込んだ特効薬を無力化してしまったのです。
がっかりです。
自然界は次なる刺客を送り込んできました。
それがコロナです。今回は変異株という手段で手を変え品を変え人間を翻弄します。
生殖行動のみを抑制するのではなく、資本主義の権化と言うべきグローバリズム(人流)を抑制するという方法で。
それ以外にも人口減少の社会的要因は見られます。期待したいものです。
これがダメなら気候変動という破滅的な事象に身を委ねるしか無いかも知れません。
プラスチックによる海洋汚染も、中国の胃袋に大半が治まり中国の人口減少に繋がってくれれば良いのですが。(日本は養殖生産量を増やすことで対応)
子供達、そして孫達の世代で人類の歴史が終わってしまわないことを切に祈ります。