普段はなるべくしないようにしている、少々暗い話。
7月23日、国立競技場にて、競泳女子の池江璃花子さんは、「逆境からはい上がっていくときには希望の力が必要」、「希望が輝いているから頑張れる」と言った。
希望、即ち、実現可能な進歩や改善が期待できる状態、での努力は誰でも出来るが、・・・・。
そうでない場合は、・・・・。
神経難病患者のリハビリは希望が無い。
現状、病気に対する唯一の対抗策であるリハビリで、病期の進行に抗えた例は無い、と言う冷酷な現実が立ちはだかる。
それでも、やらないよりは、そしてブロ友さんたちも頑張っているのだから、多分マシ、と思い込むことだけがモチベーション。
僅かな、そして恐らく思い過ごしでしか無い改善を、希望にすり替える作業は楽ではない。
リハビリをしたから此処で踏みとどまっていられる、そう思いたいが、リハビリが却って筋肉の硬直を招いて、逆効果になっているのではないかとすら思える時がある。
何処まで、何時まで、何のために、希望の無いリハビリを続ければよいのだろう。
何処までやれば止めることが許されるのだろう?
身体能力は着実に蝕まれて行くのだから、リハビリは時間稼ぎにしかならない、ということが分かっているのに。
他人に、立ち方、歩き方、食べ方、発語の仕方、呼吸方法、舌の動かし方・・・・、そんなことを習ってもいずれ出来なくなる。
ある程度病期が進行した神経難病患者で、リハビリに虚しさや無力感を感じたことのない人は居ないのではないかと思う。
表に出すかどうかは別として。
先日問題になった安楽死については、全体像も分からずにコメントする立場にはないが、緩和ケア医師の大津秀一先生の以下のコメント
(https://news.yahoo.co.jp/byline/otsushuichi/20200724-00189629/)
が腑に落ちる。
「筆者の20年あまりの臨床経験の中でも、とりわけ強く安楽死を所望された患者さんが少数おられますが、それらの患者さんが癌ではなく神経難病であったことも強い印象として残っています。」
それなのに、
「(日本での緩和ケアに関しては)診療報酬が発生するのは、がんとAIDS、末期心不全のみです。本来は病気を問わず緩和ケアが必要ですし、世界的にはほとんどの慢性病が対象に含まれると捉えられています。」
癌は患者やその家族の絶対数が多いし、肉体的苦痛は想像がつき易いから声が届くが、神経難病患者はその家族を含めても数が少ないし、精神的苦痛や閉塞感を想像するのが難しいから声が届いていないだけなのだろうか?
常日頃思っていることが、安楽死問題に触発されて漏れてしまった。