骨髄生体検査の結果、悪性リンパ腫が発見されました。
いわゆる血液の癌です。
現在の医学では治らないそうです。
何処かで何度も聞いた様な話ですが、これが原因で死に至るかどうかは個人差があるらしいことと、根治しないまでも改善の可能性の有る抗がん剤という治療方法が確立していること、が神経難病との違いです。
激しい副作用を覚悟しなければならない抗がん剤治療を受けるかどうかで悩んで居ます。
余命数ヶ月と宣告されたのであれば、迷わず治療はせずに緩和ケアの一択なのですが、そうでないのが悩ましいところです。
そもそも数値的には危険水域とは言え、この病の直接的な症状は発症していないと言われているので、仮に抗がん剤治療によって数値的な改善が見られたところで、発症が多少先送りにされるだけのように思われます。
神経難病で人生観的(自分の意図した生き方をする能力があるかどうかが判断基準)には既に死んでいて、生物学的にも死に近づいている状態で、激しい副作用が伴うかも知れない治療をする理由が見当たりません。
仮に抗がん剤治療によって悪性リンパ腫からは長い執行猶予期間を勝ち取ったとしても、神経難病の執行猶予期間を延ばす手立てはありません。
一方で、これは千載一遇のチャンスかも知れません。
最良の終わらせ方について紺美さんとも意見交換をしていたのですが、後に残る人に物理的にも精神的にも迷惑をかけない終わらせ方として、病院に於ける病死以上の方法は無いと思うのです。
物理的な処理や手続きは病院の得意分野ですし、病院で一定の処置を受けてダメだったとなれば残された人もそれなりの心の整理が出来るでしょう。
自殺ではこうは行きません(そもそも自殺出来るだけの身体能力が残されていませんし)。
抗がん剤治療の副作用によって普通の人が死に至ることはまず無いと思いますが、普段から痰が詰まることによる呼吸困難が頻繁で、自分では寝返りもうてない患者が、典型的な抗がん剤の副作用である嘔吐で呼吸困難に陥ったり誤嚥性肺炎になるというのはいかにもありそうです。
免疫力が急激に低下しますから致命的な感染症にかかるという可能性も捨てきれません。
延命治療は事前に拒否しておく事が前提です。
折角苦しい思いをして意識不明まで行ったのに、もっと苦しい吸引などで蘇生させられた上に、今以下の状態が続いては元も子もないですから。
余談ですが、何かにつけて「なんで私が?」と(病気に限らず)恨み言を口にする人の存在が昔から不思議でした。
かかった病気が「今では2人に1人がかかる病気」と言われてもなお、「なんで私が?」と口にするに至っては呆れます。
何故自分だけはそうならないと吞気に信じて生きて来れたのか聞いてみたくなります。何様のつもり?
私の二つの稀少な病を併発する確率はかなり低いと思われます(将来的に二つに相関関係があると判明した場合は別ですが、現時点では無関係でそれぞれが独立した病と言われています)が、いずれの宣告時も「なんで私が?」と思ったことが有りません。
誰かがなるのだったら、それが自分でも全くおかしくないと思っているからです。
それよりも新たな条件のなかでより良く生きて行くためにはどうすれば良いか、で頭がいっぱいです。
「神経難病で早ければ5年で寝たきり」と宣告されてから10年弱。
そろそろ「その時」が近付いてきています。
宣告された時に真っ先に考えたのは、先ず子供達を一人前の社会人として自立させる、そして家内が子供達に経済的な負担をかけることなく110才までは悠々自適に暮らしていけるようにする、最後に自分のしたいことを思う存分に楽しむということで、早速計画し一部には病院のベッドの上で手をつけました。
昨日までに全て完了しました。
車椅子でとは言え、子供達の結婚式に列席するなんて、想像もしていなかった人生のボーナスまで頂きました。
新居を買ってリフォームをしたり、新しい電動車椅子を買ったりしてから未だ半年も経っていないのが心残りと言えば言えなくもありませんが、残る仕事はこれ以上周りに負担をかけずに逝くことです。
失敗(今と同じか今より悪い状態になって家族に負担をかけること)を覚悟で抗がん剤治療を受けてみようと思います。
抗がん剤治療で、神経難病の症状が改善されるなどという奇跡は期待していませんが。(得意のExpectation Control)
あ、入院大嫌いなんだった。
尚、これは個人的な主観に基づく見解であり全く意見の異なる方も大勢いらっしゃるのは承知しています。
また、今後私自身の考え方も変わる可能性が無いとは言えません。
不快に思われたらご容赦ください。