《解説》
1961年にフランク・プゥルセル(J.W.ストールの変名)とポール・モーリア(デル・ローマの変名)に発表されたインストゥメンタル曲で、翌1962年に英国出身の歌手ペトゥラ・クラーク (Petula Clark/1932〜)が歌いヒットした(「愛のシャリオ」/このアレンジはレイモン・ルフェーヴル)。「シャリオ(Chariot)」とは一般に四輪の軽馬車をさす。
1963年にはアメリカのペギー・マーチ(Little Peggy March/1948〜)がカバーした“I Will Follow Him”が全米1位となった(当時15歳)。
1992年に公開されたアメリカ映画『天使にラブ・ソングを...』ではゴスペル調にアレンジされて、世界的にリバイバル・ヒットした。
《競演》
◇フランク・プゥルセル
F.プゥルセルが1961年にリリースしたアルバム『Amour, Danse Et Violons No 17』に収録された。それぞれの曲にはダンススタイルが記されており、“Chariot”には〈Mambo-Twist〉とクレジットされている。日本でのタイトルは当初「夢の幌馬車」となっていた。
1976年にはディスコバージョン「愛のファンキーシャリオ」としてシングル盤がリリースされたが、〈プゥルセル・ディスコサウンド・アンリミテッド〉とクレジットされている(日本でのリリースのみ?)。
◇ポール・モーリア
P.モーリアがプロデュースしたコーラスグループ《Les Satellites》のシングル盤も1962年にリリースされている。
1976年にリリースされたアルバム『ラブ・イズ・スティル・ブルー』では「恋のシャリオ」の邦題で収録されており、以降、イージーリスニング系アーティストの邦題は「恋の〜」に統一されている。
P.モーリアのラストレコーディング(2000年)となったミニアルバムで再録音されている。このアルバムは2003年のコンサート会場でのみ販売された(2曲目)
《追記》
〜 コメント欄でご教示いただきましたブレービー21さんのコメントを追記させていただきます 〜
ルフェーブルのファンサイトを見ると、この曲は公式にはモーリアとプゥルセルの作曲ですが、実際にはルフェーブルも作曲に加わっていたのが真相のようです。
https://myriades.jp/encyclopedie/biography.html
中でも1962年にイギリスのペトラ・クラークがヨーロッパでヒットさせ、翌年リトル・ペギー・マーチが歌い全米でヒットさせた「恋のシャリオ(アイ・ウィル・フォロー・ヒム)」はポール・モーリアが「デル・ローマ」、フランク・プゥルセルが「J. W. ストール」とアメリカ人っぽい変名を使って作曲し、 レイモン・ルフェーヴルがアレンジを施した曲である。ただし正確に言うと、当時のフランスの音楽著作権管理では作曲者の名前は2名しか書く欄がなかったのでルフェーヴルは編曲者の欄に記入したということらしい。(フランスでは編曲に対しても著作権が存在する。)これはルフェーヴル氏が述べていた。