「一月は行く」の言葉通り、あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいました。
時間の流れる速度が、年を取るごとに加速しているのではないかという気すらしてくる僕であります。

迎えて2月。
2月3日は節分であります。
節分とは読んで字の如し、「季節の分かれ目」の日。
取り分けても「立春」を迎える日の節分は、新しい一年を迎える日として古来より大切にされてきました。
季節の変わり目には、邪気が生じると信じられたことから、その象徴である鬼を祓うため、玄関の門に「柊」の枝を設え、豆を撒きます。ここ数年においては、関西地方の風習であった「太巻き」をほおばることもすっかり一般的になりました。

さて、今年の節分。
昨年暮れに、幸いなことに日曜日だということをしりました。
実は、平成25年を迎えるにあたり、かねてより「思うところ」があった僕は、今年の節分は、特別な日として過ごそうと決めておりました。

日曜日、午前7時。
着替えをして準備を整えたのち、庭で柊の樹から一枝を切り取り、玄関に設えた僕は、そのまま車に乗り込み出発したのであります。

知多半島道路を一路北へ、伊勢湾岸道路から国道25号線通称「名阪国道」に入り、西へと車を走らせた僕が向かったのは大和の国。


「大鳥居がシンボル」
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大和の国・一ノ宮「大神神社(おおみわじんじゃ)」であります。

何故、「特別な節分」に大神神社に節分の詣でることにしたのか?

それには、いくつかの理由が重なっているのであります。
理由を説明するには、まず、この大神神社の由来からご説明しなければなりません。

大神神社、別名「三輪大明神」ともいいますが、「三輪山」という山の周囲に境内が広がっています。
その境内の中には、参拝するための「拝殿」は建てられていますが、不思議なことに肝心のご神体が鎮座する「神殿」がありません。
もっとも大切な「神殿」がなく、いったい御神体はどこにいらっしゃるのでしょうか?

実は、この「三輪山そのもの」が御神体なのです。
この三輪山に鎮座する神様は「大物主命(おおものぬしのみこと)」とおっしゃいます。

ここでいったん、話の舞台を神話時代の「出雲の国」に移します。

この出雲の地で、国造りを任されたが、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」。
今でも「大黒様」の名で親しまれている神様です。

この大黒様の国造りを手助けしていたパートナーに「少名彦命(すくなひこのみこと)」という神様がいました。
お二人で国造りをなさっていたのですが、ある日、この少名彦命様が、突然「旅に出る」と言い出して、大黒様の元から去ってしまわれたのです。
さて、大きな手助けがいなくなり悩みに悩んでいた大黒様の前に海の向こうが光り輝きその光の中に神様がお立ちになっておられ「自分は、お前の分身である。自分は大和の国の三輪山に住みたい」とお告げがあり、三輪山にお祭りすることになったのが、この神社の始まりなのであります。

つまり、

出雲の国から「大国主命」(大黒様)の分身が三輪山に降りられて「大物主命」という名で祀られている

ということなのです。

即ち

大国主命も大黒様も大物主命も呼び名は違えど、みな同じ神様を指しているということなのです。

さて、この神様、もうひとつのお名前をお持ちです。

その名を「大己貴命(おおなむちのみこと)」と仰います。
そう、ほかならぬ、我が集落を鎮守する神社「大己貴神社」のご神体であります。
話が長くなりましたが、ここで、ひとつ繋がりました。

話を三輪山に戻します。
三輪山そのものがご神体だといいましたが、この神の化身が「蛇」なのです。
ですので、巳年の今年は、大変縁起の良い年なのです。
ここでふたつめが繋がりました。

そして、みっつめ。
先ほど、出雲のところで、あえて「大黒様」と書きましたが、この大黒様にまつわるお話しのひとつが「因幡の白兎」のお話し。
そう、大黒様にいたずらうさぎが助けていただくお話しです。
卯年生まれにとっては、大変に縁起がよい神様であります。
今年、50歳という大きな節目を迎えるにあたって、節分のご利益を頂く意義はひときわ大きいと思う僕であります。

これらの理由が重なり、そして、日曜日となった今年、参拝を決めたのです。
そして、さらに大きな理由があるのですが、それは後ほど。

では、鳥居を潜って参道を進みましょう。

「鳥居を潜って境内へ」

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-


「その2」につづく