久々に長編記事であります。
どうぞ、お付き合いのほどを。
さて、1956年に競技として始まった「バタフライ」。
その当時、もともと平泳ぎだったことから、足の動きは「カエル泳ぎ」だったのだそうです。
今思えば、これ、結構泳ぎにくいのではないかと思うのは僕だけでしょうか。
さて、このバタフライに青春を掛かるひとりの日本人選手がおりました。
ようやく、今回の記事の主役が登場であります。
その選手の名は、長沢 二郎さん。
早稲田大学水泳部に所属する気鋭のスイマーでありました。
この長沢青年、1954年、この年に競技種目として確立したばかりの「バタフライ」に挑みます。
日々この新しい種目の練習に明け暮れておりましたが、足に故障が発生してしまうのであります。
この故障により、当時の泳法であった「カエル泳ぎ」の動作が出来なくなってしまいました。
ここで長沢青年にも「コロンブス的大転換」の発想がひらめくのであります。(「TV的には「化学反応」とナレーションが入るところでしょうか」)
「開いてダメなら閉じてみな」
長沢選手、なんと足を開かずに直立姿勢のまま水を掻くという泳法を編み出したのでありました。
この泳法は、イルカのひれの動きに似ているということで「ドルフィンキック」と名付けられます。
「蝶々のはばたき」に「イルカのひれ」が加わった瞬間であります。
ここに、今日のバタフライの形が出来上がりました。
この泳法により、長沢選手は200mバタフライの世界記録を樹立します。
また、引退後は、日本水泳界において後進の育成などの功績を上げられたとのことです。
そして、長沢氏は、この「ドルフィンキックの発明」という功績が認められ、1993年、国際水泳連盟から「国際水泳殿堂入り」を認められました。
「水泳王国ニッポン」といわれ、日本のお家芸の一つとされる水泳競技。
間もなくロンドンでオリンピックも開幕します。
今大会でも、多くのメダルが期待され、また、数々の名勝負が繰り広げらることでしょう。
この素晴らしい競技の歴史に日本人が深く係わっていることを改めて「誇り」とし、選手の皆さんを応援したいと思います。
水泳の世界での「歴史的発想の大転換」の物語でした。
***** 追 記 *******
尚、この記事を書くに当たりいろいろと調べたところ、長沢選手は、2010年、78歳でご逝去されておられるのを知りました。
長沢 二郎氏の多大なる功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします。
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