先週一週間は、寒い日が続いたこちら伊勢湾沿岸、でも、「三寒四温」の言葉通りに、週末は本当に暖かい日差しに包まれたのでありました。
さて、小学6年生の我が息子、4年生から地元の少年野球チームに入りました。
以来、毎週土・日曜は、練習や試合に一生懸命参加して仲間達と楽しく過ごしてきた3年間でした。
思い出のいっぱい詰まったそのチームとも、小学校の卒業と同じく卒業の時を迎えました。
「そんな6年生たちの卒業を祝い、暖かく送り出してやろう」ということで、チームから「卒業記念親子親善試合」の開催と参加のお誘いが僕の元にも届きました。
海沿いの小さな小学校の野球チームです。監督・コーチもすべてよく知る間柄であり、いつも息子がお世話になっているのを感謝しておりました。
ので、最後くらいは、御礼をしなければということで、喜んで参加させていただくことにしました。
てなわけで、先週土曜日、春の陽射しの下でプレイボールと相成った次第です。
集まったメンバーは父親が6名。
足りないメンバーは、5年生以下の子供達を借りての混成チーム。
そこに「折角ですから」ということで子供たちの応援に来たお母さん達にも参加してもらうことにしました。
一打席づつ打席に立ってもらい、守備にも付いてもらいました。
もちろん父親達はフルイニング出場が前提。とはいえ、平均年齢45歳超のいわゆる「おっさん」たちです。くれぐれも怪我の無いように「無理は禁物」を合言葉にしたのはいうまでもありません。
などと言いつつも、折角の試合です。しかも相手は毎週練習をつんだ6年生達。
ちょっとした大人の草野球チームだったら互角で戦うポテンシャルを持っているメンバーです。
なめてかかっては「無様な結果」になることは目に見えています。
親父の威信に掛けてへたれたことはできません。
「ここは、いっちょう、勝ちに行きましょう」
と気合を入れた親父達でありました。
そんな気合を入れたものの、親父達の体力を気遣っていただきルールを
「7回あるいは1時間半のどちらかで試合終了」
という温情をかけてもらったのでありました。
さあ、プレイボール、先攻は6年生チーム。
1回表、のっけからフォアボールとワンヒットで1・2塁とされるものの、3番バッターは内野ゴロとし、まずは3塁をホースアウト、続く4番バッターをレフトフライに討ち取った後、フォアボールで再度1・2塁とされましたが、内野ゴロに打ち取り、初回を0点で凌いだ親父チームでした。
そして、初回裏、6年生ピッチャーの立ち上がりの乱れから連続フォアボールで二人が出塁した後、大きくバウンドして内野の頭上を越えたラッキーなヒットで1点を先制したのを皮切りに早くも0-2と先制することに成功した親父達でありました。
続く2回・3回は、どちらも0点、そして迎えた4回、ゲームが動きました。
4回表、スタミナに不安を抱えた親父ピッチャーの疲れを見逃さない6年生達が甘い球を立て続けにジャストミートして外野へとボールを運び、ノーアウト2.3塁。
バント処理など経験の無い親父達の弱点を突いて、あっさりとスクイズを決めて1点を返します。
そして、さらに外野フライでタッチアップの3塁ランナーが帰って、同点とされてしまいました。
6年生達は攻撃の手を緩めることなく、畳み掛けるように、さらにライト前に運んでランナー1塁へ。
しかし、このランナーをけん制球で仕留めて2アウトとし。最後は内野ゴロでどうにか同点でこのイニングを切り抜けたのでした。
やはり、勝負は勝たねばなりません、同点に追いつかれた親父達も必死です。
とはいえ、4回裏は、塁には出るもののホームを踏むことが出来ずチェンジとなり同点のままで4回終了。
次の5回は双方0点で終了しました。
こうして、迎えた6回表、ここで親父チームのピッチャーを交代です。
この交代の立ち上がり、いきなりセンターオーバーの3塁打を放たれてしまい、ノーアウト3塁。早くもピンチ。
続くバッターを内野ゴロでファーストに仕留めたものの、3塁ランナーがホームを落としいれついに逆転を許してしまった親父チームでした。
こちらも気合を入れ直したものの、勢いづいた6年生達に追い討ちを掛けられて更に1点を献上。とうとう4-2と2点の差をつけられてしまいました。
この2点差は本当に大きい。はたして追いつけるのか?
でも残りの攻撃は最大2インニングあります。まだ諦めるのは早すぎます。「せめて同点で終わりたい」と必死になった親父達でありました。
6回裏、トップバッターが内野ゴロで倒れた後、2人目で打席が僕に回ってきました。
僕はフォアボールを選んでまずは出塁することが出来ました。
ファーストベースから、ベンチを見るとなんと「盗塁」のサインが出ているではないですか。
勝つためには親父達は親父に対しても容赦ありません。
「行くっきゃないわな!」と覚悟を決めて、セカンドにスチールした僕でした。
スチール成功、1アウトランナー2塁、カウント2ボール1ストライク
4球目をファールした続く5球目、真ん中低めにきた玉バッターのお父さんが見事ジャストミート!
ボールは、センターとレフトの間を割って外野を抜けて行きました。
セカンドランナーの僕は、ラクラクとホームイン。これで3-4、1点差になりました。
ベンチに入って、バッターのお父さんを見てみると、セカンドベースの上で「ぜいぜい」と肩を揺らしていらっしゃいます。
「お疲れ様でした」ということで、小学生をピンチランナーに出して選手交代。
大活躍のお父さんを皆んな拍手で出迎えたのでありました。
まだ、1アウト。ランナー2塁です。ここは何としてももう1点取っておきたいところ。
バッターのお父さんも気合が入ります。
ファールで粘りながら何とかフォアボールで出塁。これで1アウト、ランナー1・2塁。
ここで、ピッチャーがセカンドにけん制、ところが、ベースカバーが乱れました。ランナーは一気に3塁へ走塁、それを阻止しようと3塁に送球されたのを見てファストランナーのお父さんにベンチから「GO!」の掛け声がかかります。
いやはや、本当に親父にも容赦がありません。
掛け声に応えて、必死でセカンドを陥れてくれました。こちらも同じくベースの上でぜいぜい。
もちろん、小学生のピンチランナーで交代です。
必死の走塁にベンチは拍手で出迎えたのは言うまでもありません。
ゲーム再開、1アウト2.3塁しかも塁上は活きの良い小学生ランナーです。
時間を見ると1時間10分を回っています。
状況次第では、この回が最終回になる可能性もあります。
ここが最後のワンチャンス。この機を逃しては同点には追いつけません。
「勝負の世界に情けは禁物」
親父達は「非情」に徹することにしました。
バントシフトで内野が「前進守備」となっているのを逆手にとって、ベンチから「ダブルスチール」のサインを小学生ランナーにおくったのでありました。
1ボール1ストライク後の3球目、3塁が前進守備のためピッチャーはワインドアップからの投球。このタイミングを盗み、サードランナーが一気にホームをつきます。
スチール成功、まずは1点、これで同点です。
そして、ホームベースで交錯する間にセカンドランナーも3塁へ突進。
3塁手はベースに戻れず、レフトが慌てて3塁のベースカバーに駆け寄りますが、盗塁成功。しかもキャッチャーが送球した球が逸れ、外野に転がってしまいました。
コレを見て3塁を蹴ってホームイン。
これで4-5、ついに逆転です。
このあとさらに2点を加えて、4-7としたこの回の親父チームでした。
ここで1時間半が過ぎました。
試合終了です。
7回をしてあげたかったのですが、最早親父達は限界です。
約束通り、試合終了としてもらいました。
まさかまさかの勝利です。
皆さんの顔には、どうにか親父の威厳を保ったことに安堵の笑顔が浮かんでいます。
そしてどの笑顔も「楽しかった」と書いてあります。
この結果には、きっと、はたから見れば「大人気ない」と映るかもしれません。
でも、親父達は「どんな時でも子供達には真剣にぶつかっているのだ」と言う事を見せることこそが彼らへのエールだと確信します。
そして、きっと彼らはそんな親父達を認めてくれると信じます。
「いつか親父を追い越してやる」
その気持ちを胸に中学校で頑張ってくれることが何よりも嬉しい親父達のであります。
さて、そんな土曜日を過ごした翌・日曜日のことです。
布団から起き上がろうとした僕の全身を強烈な痛みが走りました。
筋肉がパンパンに強張り、そのため足が曲がらず、靴下ひとつ履くのに悲鳴を上げる始末。
そんな僕の姿に「大人気ないことするからバチがあったのよ」と冷ややかに言い放つ家内の声が。
「そうなんだよなあ」と今更に大きく後悔しながらも、この痛みがちょっと嬉しい僕なのでありました。
とある田舎の卒業シーズンのひとコマでした。
さて、小学6年生の我が息子、4年生から地元の少年野球チームに入りました。
以来、毎週土・日曜は、練習や試合に一生懸命参加して仲間達と楽しく過ごしてきた3年間でした。
思い出のいっぱい詰まったそのチームとも、小学校の卒業と同じく卒業の時を迎えました。
「そんな6年生たちの卒業を祝い、暖かく送り出してやろう」ということで、チームから「卒業記念親子親善試合」の開催と参加のお誘いが僕の元にも届きました。
海沿いの小さな小学校の野球チームです。監督・コーチもすべてよく知る間柄であり、いつも息子がお世話になっているのを感謝しておりました。
ので、最後くらいは、御礼をしなければということで、喜んで参加させていただくことにしました。
てなわけで、先週土曜日、春の陽射しの下でプレイボールと相成った次第です。
集まったメンバーは父親が6名。
足りないメンバーは、5年生以下の子供達を借りての混成チーム。
そこに「折角ですから」ということで子供たちの応援に来たお母さん達にも参加してもらうことにしました。
一打席づつ打席に立ってもらい、守備にも付いてもらいました。
もちろん父親達はフルイニング出場が前提。とはいえ、平均年齢45歳超のいわゆる「おっさん」たちです。くれぐれも怪我の無いように「無理は禁物」を合言葉にしたのはいうまでもありません。
などと言いつつも、折角の試合です。しかも相手は毎週練習をつんだ6年生達。
ちょっとした大人の草野球チームだったら互角で戦うポテンシャルを持っているメンバーです。
なめてかかっては「無様な結果」になることは目に見えています。
親父の威信に掛けてへたれたことはできません。
「ここは、いっちょう、勝ちに行きましょう」
と気合を入れた親父達でありました。
そんな気合を入れたものの、親父達の体力を気遣っていただきルールを
「7回あるいは1時間半のどちらかで試合終了」
という温情をかけてもらったのでありました。
さあ、プレイボール、先攻は6年生チーム。
1回表、のっけからフォアボールとワンヒットで1・2塁とされるものの、3番バッターは内野ゴロとし、まずは3塁をホースアウト、続く4番バッターをレフトフライに討ち取った後、フォアボールで再度1・2塁とされましたが、内野ゴロに打ち取り、初回を0点で凌いだ親父チームでした。
そして、初回裏、6年生ピッチャーの立ち上がりの乱れから連続フォアボールで二人が出塁した後、大きくバウンドして内野の頭上を越えたラッキーなヒットで1点を先制したのを皮切りに早くも0-2と先制することに成功した親父達でありました。
続く2回・3回は、どちらも0点、そして迎えた4回、ゲームが動きました。
4回表、スタミナに不安を抱えた親父ピッチャーの疲れを見逃さない6年生達が甘い球を立て続けにジャストミートして外野へとボールを運び、ノーアウト2.3塁。
バント処理など経験の無い親父達の弱点を突いて、あっさりとスクイズを決めて1点を返します。
そして、さらに外野フライでタッチアップの3塁ランナーが帰って、同点とされてしまいました。
6年生達は攻撃の手を緩めることなく、畳み掛けるように、さらにライト前に運んでランナー1塁へ。
しかし、このランナーをけん制球で仕留めて2アウトとし。最後は内野ゴロでどうにか同点でこのイニングを切り抜けたのでした。
やはり、勝負は勝たねばなりません、同点に追いつかれた親父達も必死です。
とはいえ、4回裏は、塁には出るもののホームを踏むことが出来ずチェンジとなり同点のままで4回終了。
次の5回は双方0点で終了しました。
こうして、迎えた6回表、ここで親父チームのピッチャーを交代です。
この交代の立ち上がり、いきなりセンターオーバーの3塁打を放たれてしまい、ノーアウト3塁。早くもピンチ。
続くバッターを内野ゴロでファーストに仕留めたものの、3塁ランナーがホームを落としいれついに逆転を許してしまった親父チームでした。
こちらも気合を入れ直したものの、勢いづいた6年生達に追い討ちを掛けられて更に1点を献上。とうとう4-2と2点の差をつけられてしまいました。
この2点差は本当に大きい。はたして追いつけるのか?
でも残りの攻撃は最大2インニングあります。まだ諦めるのは早すぎます。「せめて同点で終わりたい」と必死になった親父達でありました。
6回裏、トップバッターが内野ゴロで倒れた後、2人目で打席が僕に回ってきました。
僕はフォアボールを選んでまずは出塁することが出来ました。
ファーストベースから、ベンチを見るとなんと「盗塁」のサインが出ているではないですか。
勝つためには親父達は親父に対しても容赦ありません。
「行くっきゃないわな!」と覚悟を決めて、セカンドにスチールした僕でした。
スチール成功、1アウトランナー2塁、カウント2ボール1ストライク
4球目をファールした続く5球目、真ん中低めにきた玉バッターのお父さんが見事ジャストミート!
ボールは、センターとレフトの間を割って外野を抜けて行きました。
セカンドランナーの僕は、ラクラクとホームイン。これで3-4、1点差になりました。
ベンチに入って、バッターのお父さんを見てみると、セカンドベースの上で「ぜいぜい」と肩を揺らしていらっしゃいます。
「お疲れ様でした」ということで、小学生をピンチランナーに出して選手交代。
大活躍のお父さんを皆んな拍手で出迎えたのでありました。
まだ、1アウト。ランナー2塁です。ここは何としてももう1点取っておきたいところ。
バッターのお父さんも気合が入ります。
ファールで粘りながら何とかフォアボールで出塁。これで1アウト、ランナー1・2塁。
ここで、ピッチャーがセカンドにけん制、ところが、ベースカバーが乱れました。ランナーは一気に3塁へ走塁、それを阻止しようと3塁に送球されたのを見てファストランナーのお父さんにベンチから「GO!」の掛け声がかかります。
いやはや、本当に親父にも容赦がありません。
掛け声に応えて、必死でセカンドを陥れてくれました。こちらも同じくベースの上でぜいぜい。
もちろん、小学生のピンチランナーで交代です。
必死の走塁にベンチは拍手で出迎えたのは言うまでもありません。
ゲーム再開、1アウト2.3塁しかも塁上は活きの良い小学生ランナーです。
時間を見ると1時間10分を回っています。
状況次第では、この回が最終回になる可能性もあります。
ここが最後のワンチャンス。この機を逃しては同点には追いつけません。
「勝負の世界に情けは禁物」
親父達は「非情」に徹することにしました。
バントシフトで内野が「前進守備」となっているのを逆手にとって、ベンチから「ダブルスチール」のサインを小学生ランナーにおくったのでありました。
1ボール1ストライク後の3球目、3塁が前進守備のためピッチャーはワインドアップからの投球。このタイミングを盗み、サードランナーが一気にホームをつきます。
スチール成功、まずは1点、これで同点です。
そして、ホームベースで交錯する間にセカンドランナーも3塁へ突進。
3塁手はベースに戻れず、レフトが慌てて3塁のベースカバーに駆け寄りますが、盗塁成功。しかもキャッチャーが送球した球が逸れ、外野に転がってしまいました。
コレを見て3塁を蹴ってホームイン。
これで4-5、ついに逆転です。
このあとさらに2点を加えて、4-7としたこの回の親父チームでした。
ここで1時間半が過ぎました。
試合終了です。
7回をしてあげたかったのですが、最早親父達は限界です。
約束通り、試合終了としてもらいました。
まさかまさかの勝利です。
皆さんの顔には、どうにか親父の威厳を保ったことに安堵の笑顔が浮かんでいます。
そしてどの笑顔も「楽しかった」と書いてあります。
この結果には、きっと、はたから見れば「大人気ない」と映るかもしれません。
でも、親父達は「どんな時でも子供達には真剣にぶつかっているのだ」と言う事を見せることこそが彼らへのエールだと確信します。
そして、きっと彼らはそんな親父達を認めてくれると信じます。
「いつか親父を追い越してやる」
その気持ちを胸に中学校で頑張ってくれることが何よりも嬉しい親父達のであります。
さて、そんな土曜日を過ごした翌・日曜日のことです。
布団から起き上がろうとした僕の全身を強烈な痛みが走りました。
筋肉がパンパンに強張り、そのため足が曲がらず、靴下ひとつ履くのに悲鳴を上げる始末。
そんな僕の姿に「大人気ないことするからバチがあったのよ」と冷ややかに言い放つ家内の声が。
「そうなんだよなあ」と今更に大きく後悔しながらも、この痛みがちょっと嬉しい僕なのでありました。
とある田舎の卒業シーズンのひとコマでした。