2月も終わり、というかやはり逃げて行ってしまい、3月になりました。
1ヶ月の速さが身に沁みております。
「花の季節」を迎える3月ですが、寒さが舞い戻り伊勢湾から冷たい北西風が陸に届く知多半島であります。
さて、このところの愛読書は、先般ご紹介した「絶滅寸前季語辞典」(夏井 いつき著)。
このなかで、著者の夏井さんをはじめ俳人の方々が、俳句を作るのですが、皆様もよくご存知通り俳句には大きく2つの規則があります。
その規則とは、
「季語を織り込む事」
と
「五・七・五の17文字で一句をまとめる事」
「季節の移ろい」を肌で感じ、「大自然の営み」に逆らうことなく知恵を人々の暮らしに織り込んでいく日本人の感性を「季語」と「17文字」のなかに凝縮することで「無限に広がる感性の宇宙を創り出す」という優れた文化を築き上げたのです。
ところで、この「17文字」にたいしては「字あまり」・「字足らず」が認められ、必ずしも17文字でないとしても、まずは、「人の感性を大切にする」という誠に日本人らしい緩やかなものとなっています。
とはものの、やはり「規則を守る」が大原則ですから、著者も「文字数の多い季語」には、なんとか17文字に収めて一句をひねり出した苦労を所々で書いています。
さて、そんな苦労談などを楽しく読みながら「冬」の章にページが進んだ僕は、そこに載せられている「季語」にびっくり仰天したのであります。
その季語とは
童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日
仮名で書くと
どうていせいまりあむげんざいのおんやどりのいわいび
えぇ~っ! 17文字どころか25文字あるじゃないですかっ!!
よもや、17文字を超える季語が認められているとはっ!!
これって、俳句の根底を揺るがす大問題ではないでしょうか?
この「字あまり季語(そんな言葉あるのか?)」について著者はなんらコメントしておられませんが、間違いないのは、「季語」として認めているという事実。
さて、この俳句における「17文字規則」の存在意義っていったい。。。。。。
日本文化の「おおらかさ」にちょっと驚いた僕でありました。